2010年7月31日土曜日

ビンビールズ LIVE at 下北沢ReG


4ヶ月ぶりのビンビールズ。
よかったっす。

1曲目いきなり「スリーコード」。
最前ど真ん中にいたのでまん前にナマハゲさんが。
いい曲だなあ。

2曲目は「不安な時代にポップなミュージックを」というまんぷく氏のお決まりのMCで「ロマンズ」。
これも好きっす。
酔っ払ったオレはいい感じで踊りまくりだった。
3曲目はたしか「エアーヨーヨー」。

そのあとMCをはさんでは新曲「マイチューブ」。
これまた熱い曲だったが
中盤でナマハゲ氏のギターの3弦か4弦が切れた!!
かまわず演奏を続けるビンビールズ。

この曲のあとナマハゲ氏はステージ袖へギターを持って退場。
まんぷく氏のMCでなんとか場をつないだ。

そのあと弦のはりかえをしたナマハゲ氏が登場。
ラストは「黄色い太陽」。
この曲はすばらしい。どんどんパワーアップしてるんだ。
ギターとベースがユニゾンの必殺イントロとか
ドラムがウラウチになるとことか、
随所随所にツボがあって最高に楽しい。

ということで久々にみたビンビールズは夏にぴったりな熱さであった。
以上!!!

2010年7月30日金曜日

ジム。

今日もジムで一時間ランニングマシーン。
2日連続だとちょっと足がいたい。
明日は休みます。

写真はアベフトシです。
とくに深い意味はありません。

2010年7月29日木曜日

オレとミッシェルガンエレファント。 2000年


ミッシェルにとってベトっとヘヴィだった99年が終わった。
オレにとってもしんどい1年だった。

そして2000年になった。
ミレニアムである。
2月。
春になれば大学4年生。
オレは就職活動を始めていた。
とはいっても例によって部活動にはげむ毎日。
しかも上級生は引退し、これから新4年生になる最上級学年である。
色々と役職もついて部をまとめなくてはならない毎日だった。
練習、就活に奔走する日々。
それなりに充実していて、今思うと楽しい経験だったと思う。

そんな2000年であるが、ミッシェルは活動していた。
まず2月にシングル「GT400」をリリース。
めずらしくミドルテンポの曲だ。
Aコードではじまるこの曲はめずらしく余裕にみちた曲だ。
砂漠をバイクで走っている映像が頭にうかぶ。
そして3月には4枚目のアルバム「カサノバスネイク」がリリース。
就活中に新宿のHMVによって、
備え付けの視聴機で「カサノバスネイク」を聴いたことをいまでも覚えている。
1曲目は「デッドスターエンド」。
イントロを聴いて思ったのは
「・・・音、軽くね??」
という感想である。
前作「ギヤブルーズ」のドロドロでベットリでディープな音とは違い、
乾いたカラっとした音になっていて、
正直拍子抜けしたのを覚えている。
それでもミッシェルファンであることには違いないので。
もちろんその場でアルバムを購入して、狂ったように聴きまくった。
正直、「やっぱミッシェル、うまいなあ」って思ったね。
何がって、
「あんだけしんどい『ギヤブルーズ』の世界をぬけて、今度はちょっと明るい世界に行ったんだ」ってことが感覚的に伝わってきたからだ。
「ギヤブルーズ」とはちゃんと違う作風になってるのだ。
まずテンポが速い。
あとはメロディーがいい。
このアルバムに収録されている「リボルバージャンキーズ」という曲は
当時のミッシェルがいかにハッピーなモードにあったかということを象徴するような曲であり、
これ以降もライブの終盤で頻繁に披露される後期代表曲の1つである。

話はもどるが99年秋にはミッシェルは初のアメリカツアーをおこなっていた。
アメリカはとにかく広くて、1日中とうもろこし畑を車で延々と走る日が続いたという。
「GT400」や「アンジーモーテル」などの歌詞はおそらくアメリカの情景を歌っているのではなかろうか。
アメリカでの体験がこの「カサノバスネイク」全体にそれなりに影響していることは間違いない。

まあ一言でいえば「ハッピー」なアルバムだったんだ。
そしてそれが部活と就活に励むオレの2000年春の心情とうまい具合に重なっていいBGMになっていたんだ。

そして例によってアルバムリリース後に5月からツアーがスタート。
ライブハウスをガンガン回るツアーだが、
本数は43本と、ギヤブルーズツアーより20本近く減っていた。
いまとなっては、ミッシェル至上もっとも過酷だったのが「ギヤブルーズ」の頃で
ロックンロールバンドとして余裕があり幸せだったのが「カサノバスネイク」の頃だったのではと思ってしまう。
「カサノバスネイクツアー」のライブの様子はそのまま「リボルバージャンキーズ」のPVの一部にもなっている。ステージにしゃがみこんでハンドマイクで満面の笑顔で歌うチバの様子がまぶしすぎる。
「ギヤブルーズツアー」の重みを突破した男が自力で掴み取ったつかの間の栄光をあらわしているようで、まぶしすぎるのだ。
ちなみにこのツアーから彼らのライブ登場SEは「ゴッドファーザー愛のテーマ」になった。
日本のロックンロールバンドとして1つの頂点になったということを余裕と貫禄をもって堂々と表現しているかのような選曲である。昔は「ルパン3世のテーマ」であったことを考えると、チンピラがヤクザになって、ついにはマフィアのドンになってしまったという彼らの成長ぶりがようくわかる。

ツアーファイナルは昨年の「ギヤブルーズツアー」同様に赤坂BLITZであった。
例によってこのライブもWOWWOWで放映された。
知人に頼みオレはこのライブの映像も入手。
1年前の「ギヤブルーズツアー」の赤坂BLITZが凄まじすぎただけに、期待してみた。
が、このファイナルはあまりにもギヤブルーズツアーとは違う内容となっていた。
1曲目は「プラズマダイブ」。
とにかくテンポが速い。
もともと速い曲だが、その原曲より2倍くらい速いのだ。
その後もとばすとばす。
「コブラ」って曲の歌詞に「狂乱のハッピー」って言葉があるが、まさにその通りのライブだった。
正直このツアーファイナルには
「なんだか速すぎて演奏に深みがないなあ」
とオレは不満だった。
「カサノバスネイク」の歌詞世界はアメリカの情景、あとはチバの脳内にある宇宙がメインである。
宇宙の果てまでぶっとばすかのような超ハイテンポのライブであった。

そしてこのファイナルのあと彼らは98年以来2度目のフジロックに出演。
しかも一番大きなグリーンステージでなんとトリであった。
フジロックといえばトリは洋楽の大御所的なアーティストがつとめることが多いのだが、なんとこの2000年はミッシェル、ブランキージェットシティと日本のバンドが2バンドトリをつとめたことで話題になった。
「ゴッドファーザー愛のテーマ」で登場。
このSEも決して大げさでなく彼らの貫禄を声高らかに表していた。
1曲目は「CISCO」。98年のフジロックでも1曲目に演奏し、客の暴れっぷりに中断せざるをえなかった曲である。
その後も代表曲を演奏。
当時、このライブの映像もツアーファイナルと合わせて観たんだが、
やはり演奏に深みとスリルを感じなかった。
ようするに「余裕」がありすぎて「スリル」がないのだ。

ミッシェルに「余裕」があったのはいま思うと2000年だけだったのではと思う。

オレに言わせれば、
「カサノバスネイク」を一言で表現すると、「ハッピー」だ。

あんだけしんどい「ギヤブルーズ」のあとは
「ハッピー」でいいんじゃねえか、という考えが彼らにもファンにも無意識にあったように感じる。

フジロックが終わり
秋になり10月にシングルをリリース。
「ベイビースターダスト」だ。
「カサノバスネイク」でたどり着いた宇宙ワールドをさらに爆裂させたかのような曲。
このシングルの3曲目は「武蔵野エレジー」。
「あいついまごろケムリになって気ままに空を飛んでるのだろう」
という歌詞があるが、チバいわくミッシェルの周りで他界する人が多かったために作られたという。
どこか物悲しい曲。
この曲でウエノは初のウッドベースを弾いている。

そして12月には、これまでの活動の全てを一旦総括するかのように
ベストアルバムとライブアルバムを同時リリース。
このダブルリリースは「解散か?」という噂をよぶことになった。
5枚のアルバムである意味やりきったといってもいい彼らの活動を考えると
確かに解散説がでてもおかしくはなかった。
しかし彼らはまだ活動を続ける。
2000年にハッピーなパーティーを終えて、
2001年にはまた別の世界が待っていたのだった。
(続く!!!)

ジム。


本日も会社帰りにジム。
19時前から1時間走った。

家かえってから飲むスーパードライがうめーんだ。

話はかわるが、
「沈まぬ太陽」は映画もいいけど本だと登場人物1人1人の描写が細かくてもっと面白い。
早速1巻目終了だ。

2010年7月28日水曜日

築地寿司岩やわらか穴子弁当

昼から新幹線で新潟出張なんで東京駅で弁当を買った。
東京駅限定の穴子弁当。
いままでいろいろ駅弁は食べたが
これが一番旨かったかも。
穴子はやわらかいし、
タレも旨い。
ごはんには青海苔がかかっていて
これが穴子とよくあう。
満足の一品だった。

2010年7月27日火曜日

ジム。


会社帰りにジムへ。
19時半から1時間ランニングマシーン。
最初の30分は時速8.2キロ、
30分すぎたあたりで10キロへ。
いつもと同じく9キロくらい走った。

先週は金、土、日と3日連続で通ったが、
足がかなり痛かった。
ボロボロな感じだった。
それでも家の周りを走ったときに比べればマシだったし、
ヒザがそんなに痛くならないから続けることができた。

そして1日休んで、今日、
驚いたことにいくら走っても全く痛くない。

この3日間でだいぶ足がなれたんだなあとちょっと感動。
中学のときに保健体育でならった「ルーの3法則」ってやつを思い出した。
「筋肉は酷使すると、強くなる」みたいな法則。
(ぜんぜん違うかもしれないが)

21時半頃ジムをでてから
大森のBOOK1stで「沈まぬ太陽」を購入。
とりあえず1巻から3巻まで買った。
この夏読むぜ!!!

そして家に帰ってのんだ缶ビール、
「スーパードライってこんなに切れ味あったのか!!!」とドえらく感動した。
今年になって飲んだビールの中で一番美味かったかも。
ジムで1時間走ったあとにスーパードライはやばいっす。

以上、幸せな火曜日だった。

2010年7月26日月曜日

「バッド・ルーテナント」観賞。


ヴェルナー・ヘルツォーク監督
2009年アメリカ映画。

1週間くらい前に観たけどアップしてなかった映画。
ニコラス・ケイジの完全にイっちゃってる演技だけでも見る価値あり。

警部補なのに基本的に24時間麻薬でトんでる。
両親もアル中とヤク中。恋人もクスリ漬け。
街にいる一般市民を脅して金を巻き上げたりしてる。
まあどうしようもない男なんだな。

事件にまきこまれても
別にハラハラドキドキするような展開もなく、
強敵と思ってたキャラがあっさり死んだり、
急に和解をもとめてきたりと、肩透かし的な展開が多い。
いいかえれば予測不可能な映画だ。

ときどき主人公がクスリのやりすぎで観る幻覚のトカゲ、イグアナの映像もチープな雰囲気がよい。

オススメとはいいませんが、ニコラス・ケイジファンは必見です。
以上!!!
(生涯710本目の作品)

「沈まぬ太陽」観賞。


若松節朗監督
2009年日本映画
原作は読んでません。
小説も映画もフィクションではあるが、
内容は明らかに日本航空をモデルにしている。
映画の冒頭は実際には1985年におきた日航機123便墜落事故の場面で幕を開ける。
オープニングからあの悲惨な事故を再現した場面なのだ。
(事故時の実際の状況と照らし合わせるとかなり正確に再現しているのがわかる)
観る者の心をわしづかみにするはじまり方だ。
あとはもう黙って見続けるしかなかった。

労働組合と役員側の対立、社内派閥、政治家との癒着などなど
はっきり言ってこれ観るとフィクションとわかっていても日本航空のイメージはがた落ちだ・・・。

渡辺謙が良かったな。
この作風の主人公にぴったりな演技と存在感。

そのほかの役者も抑えたほどよい演技で好感がもてた。
登場人物がかなり多いが、誰にも感情移入しずぎることなくバランスよく描いていたのが印象的。
三浦友和、良かった。
松雪泰子も良かった。だんだんと「幸薄」女優になってないか?
香川照之はこういう役ばっかだなあ。「幸薄」男優?悲惨な結末になるのが観てて予想がついたよ。

202分もあったらしいがあっという間に終わってしまった。
中だるみすることがなかったのはすごいとしか言いようがない。

夏休みだし、この映画観といて損はなしです!!
以上。(生涯709本目の作品)

2010年7月25日日曜日

川崎「ぴょんぴょん舎」

冷麺大盛り。
夏にぴったりの美味さ。

ジム。

一時間ランニングマシーン。
明日は休館日なんではしりません。
これから川崎。
冷麺食べます。

2010年7月24日土曜日

the ARROWS LIVE at SHIMOKITAZAWA SHELTER


アロウズを久々に観た。

SOULKIDSというバンドのレコ発であり、
4バンドが出演。
ほとんどが名古屋のバンドらしい。
なるほど名古屋つながりでアロウズが出てんだな。

アロウズの出番は3番目。

まず「明日、照らす」と書いて「アステラス」と読むバンドが1番目だった。
ムダのないスリーピースのバンド。
ボーカルの歌声はぬけがよくてちょっとアジカンの後藤を思わせる。
なかなかよかった。

そのあとは「99RadioService」。
アメリカンハードロック的なギターに
キーボードが加わって実にポップな音を放っていた。


そしてアロウズ。
ギターの岩原が脱退してからは
オレがアロウズを観るのは初である。
サポートギターが加わって5人編成。

1曲目は「恋する摩天楼」。
前半はレゲエのリズムでゆったりと
中盤からアップテンポになる演奏。
坂井竜二、歌うまいなあ。
しかしファンはどんだけいたのか、踊る客はごくわずか。
オレは後ろのほうで一人踊っていた。

2曲目は「マストピープル」。
いつきいてもいいなあ。
ここでも反応は薄い。東京のファンは誰も来てないのだろうか?
なんて心配しながら踊りまくってたら
「♪君は完全マストピーポー♪」
のとこで坂井竜二が明らかにオレのほうを指差していた。
ちょっと嬉しいけど複雑な気分。
そのあとは「竜宮東京」。
このあとMC。
ファンは最前のほうに少しだけいる模様。
4曲目で「サワディカップ」。
いい曲やね。
ラストは新曲だった。
「君とディスコで踊りたい曲があるんだ」
というサビのフレーズが印象的。
演奏は中盤からどんどんテンポが増すというスリリングな内容。
熱かった。

終始アウェイ感につつまれたライブであった。
サポートギターの音色がちょっと乾きすぎてささくれだってたきがする。
もうちょっとエフェクターかなんかつかって音を湿っぽく、やわらかくしてくんないかなあ。

坂井竜二の存在感と歌声はやっぱいい。
ドラムのプレイがちょっと固いかな。観ていて緊張感が伝わってくる。
もうちょっと余裕があるといいんだが。

なんだかんだで今後も彼らを応援していこうと思う。
次回東京のライブは9月とのこと。
行こうと思う。

以上!!!

下北沢「炭火焼鳥 西田屋」


今後、下北沢でゆっくり飲む居酒屋といったら
西田屋になりそうだ。

下北沢。

夕方の下北沢はいいのお。

ジム。

10時半前から大森のジムにて
ランニングマシーンを1時間。
昨日より汗かいたな。
ポケモンスタンプラリーが今日からだから
駅には子供連れが多いです。

2010年7月23日金曜日

ジム。


大森のジムに火曜日に入会。
本日会社帰りに行ってきた。

ランニングマシーンを1時間。
時速8キロくらいで開始。
30分を過ぎたあたりから10キロに早めた。
結果1時間で9キロくらい走ったことになっていた。

ずっとipodを聴きながら走ったから楽しかったな。
あとはアスファルトと違って足、とくにヒザに負担が少ない。
今年1月に家の周りを走ったが、ヒザが痛くなってしまいやめざるをえなくなったオレとしては嬉しい限りだ。

汗をドバっとかいて、風呂はいって、ジムを出て
大森駅にいったら
会社の後輩と偶然遭遇。

結局蒲田の居酒屋で飲んでしまった。
意味ねーじゃん。
写真は金目の釜焼き。


さすがに疲れが来てるんでもう寝ます!!!

2010年7月22日木曜日

東京の夜。


この日は大学剣道部の先輩で北海道は帯広在中のTさんが東京に夏休みで来ているとのことで
Tさんを囲む会が開催された。

1次会は丸ビルで5人で盛り上がり、
2次会は八重洲の伝統深きBAR「BRICK」で6人で盛り上がった。

オシャレな場所で飲んでも、
そこでの会話はやっぱ大学時代と変わらないバカ話が中心。
とても楽しいひとときであった。
写真真ん中がこの日の主役のTさんである。

Tさん、またお会いしましょう!!!

2010年7月21日水曜日

品川「居酒屋 富士」


18時15分に東京に着いた。
今夜の幹事の後輩と連絡をとると、「品川でやりますんで」とのこと。
品川へ向かった。
ビアガーデンかあ。夜でも外で飲むにはちょっと暑いかもな。でもいいか。

19時40分頃、仕事を終えた会社のメンバー3人と品川で合流。
「ところで、どこのビアガーデン予約したの?」
と聞くオレに幹事のK君は
「予約してないです」
とあっさり返答。
そしてそしてこの真夏日、
品川のビアガーデンを2軒あたったが、どこも予約でいっぱい。そりゃそうだろ・・・。
ということで妥協案として行ったのが高輪口を出て右に行ったところにある飲み屋の集まったビルの中にある
「居酒屋富士」である。


暑い日の仕事を終えた1杯目は実に美味い。




















煮込み。
見た目どおりの美味さ。
「・・・ビアガーデンよりもよくね?」


















から揚げ
冷凍ではないことが一目瞭然。
カレーの味つけがしてあったタンドリーチキンのよう。
実に美味い。
「やっぱこの店、正解だったなあ」
オレの思いは確信へと変わっていた。















しめさば。




















串ものもある。
上機嫌になってトリスハイボールが進んでしまい、後半あまり記憶なし。

















終盤は餃子を頼んだのは覚えている。
羽つきだった。

こうしてビアガーデン飲み会は
ビアガーデンよりもここちよい空間で終了したのであった。

K君、今度は予約しとけよ!!!

新幹線。

ジプリが大好きなわけではないが、
これ読みながら帰ります。

新潟出張

東京よりは湿度が低いかも。
でも暑かった。
青空がまじで青い。
これから東京でビアガーデンです。

2010年7月20日火曜日

オレとミッシェルガンエレファント。 1999年


99年1月17日の横浜アリーナで「ワールドサイコブルーズツアー」が終わった。
横浜アリーナで初のオールスタンディングをやったバンド。
しかし、そんなことはまるでなんでもなかったかのように
彼らは4月からまたツアーに出る。
「ワールドギヤブルーズツアー」である。
再びライブハウスをメインとしたもので、
その本数はなんとチキンゾンビーズツアーをも凌ぐ62本!
男ですねえ。男ですよ。
チキンのときもけっこうきつかったらしいのに、
あえてそれを超える本数をもってくるあたり。カッコええじゃないか。
横浜アリーナをソールドアウトにしたって、
そんなことにはこれっぽっちも甘んじずにひたすらライブをやり続けるんだ。

このツアーの最中である5月1日に、1月の横浜アリーナライブがビデオ化されて発売された。
オレは勿論それを購入。
あまりに「ギヤブルーズ」の世界がホールクラスの会場にぴったりなんで
正直ライブハウスで奏でられる「ギヤブルーズツアー」がどんなものになるのか想像できなかった。
しかしそんな心配は無用であった。

彼らは「ワールドギヤブルーズツアー」で、
これまでよりもさらにドス黒いエネルギーを増し、
完全にロックにとりつかれた「悪魔」となっていた。
なんといってもまずメンバー1人1人の風貌がショッキングに変化していたのだ。
チバはオールバックに白スーツ
アベは金髪に青スーツ
キュウはモヒカン
ウエノはあんまし変わってなかったが。
雑誌などでその姿を見たとき
「なんだ、見かけだけじゃん」とは思わなかった。
その風貌が皆似合いすぎでなんともヤバそうなオーラが出ていたのだ。
「これは相当な覚悟でやってんだなあ」
ライブに行かなくてもそういう様子はヒシヒシと伝わってきた。

横浜アリーナなんて彼らにとっては通過点でしかなかったんだ。
もっともっと「ギヤブルーズ」の世界を探求していってんだ。
それもライブハウスオンリーで62本。
まさに「ドッグウェイ」だ。

ツアーファイナルは8月6日の赤坂BLITZだった。
このときの模様はWOWWOWで生中継された。
オレは運よくこのライブの模様を知人に録画してもらうことができたので
後日自宅で見ることができた。

そこにはこれまでオレが観た(といっても全部ビデオでですが)ミッシェルのどのライブよりも
凶暴でディープで殺傷力の高い音が鳴っていた。
パツンパツンになった赤坂BLITZのフロアは観客の熱気も異常だった。

1曲目が「サタニックブンブンヘッド」。
そんなはじまり方ってありなんすか?
ありなんだ。

「オレたちは4ヶ月間イヌミチを歩いてきたんだぜ」
というチバのMCのあとにはじまる「ドッグウェイ」。

「オレのオイルはゆであがってる~」
というMCのあとにはじまる「ボイルドオイル」。
このときはほんとに茹で上がってたんだと思うよ。

これからも全力でロックしつづけるしかないという彼らの生き様のしんどい面を音にしたかのような
「ブギー」の退廃感。

アンコールでアベがギターを鳴らし、観客が狂喜乱舞する「世界の終わり」。

自分らが作った「ギヤブルーズ」というとんでもない化け物に
自分達で落とし前をつけるかのような戦いのようなライブだった。
そこには「ギヤブルーズ」のディープな世界が確かにあったのだった。
このライブはそれこぞテープが擦り切れるくらい観た。
で、今年になってDVD化されたのでまた観ることができたが、
やはりこの赤坂BLITZライブがミッシェルの中で一番凄まじいライブなのではといまでも思う。

そして
いまおもえばこのツアーファイナルを機に、「世界の終わり」がライブのアンコールで演奏される機会が多くなっていったように感じる。
このあと8月21日に開催された第1回「ライジングサンロックフェスティバル」でも彼らは最後に「世界の終わり」をやっている。
初期においては他の曲と比べて少々浮いているかのような印象があったこのデビュー曲だが、
彼らのアルバムがどんどんヘヴィになってストーリー性を帯びていくのに従い、
メロディのキャッチーさや「世界の終わりをパンを焼きながら待ち焦がれている」というロマンチックかつデカダンにも解釈できる歌詞といった、この曲がもつ普遍的な輝きがどんどん増していったように思う。

そんなこんなでツアーは終了。
「ギヤブルーズ」は
ありとあらゆる意味で彼らにとってもファンにとっても「怪物」だったといっていい。
ちなみにミッシェルのアルバムでもっとも売れたのが「ギヤブルーズ」でありたしか50万枚くらい売れたと思う。世間的に彼らの作品中もっとも有名なアルバムなわけだ。


当時オレは大学3年。
その年の剣道部の練習がやたらとしんどかったことをよく覚えている。
大好きなミッシェルのヘヴィな様子と自分の人生とがぴったりと合ったんだな。

「ギヤブルーズ」ツアーが終わるとアベの髪の色は黒に戻った。
チバは相変わらずオールバック。
キュウもモヒカン。
あれだけ壮絶な世界に到達した彼らに
このあとどんな世界が見えてくるのか?

続く!!!

2010年7月19日月曜日

遠藤周作「わたしが・棄てた・女」


この間京都出張のときに四条の本屋さんで買った。
帰りの新幹線で読み始めてあっという間に読めた。
かなり軽い文体でテンポもよく大変読みやすい。
前半だけ読んでると「なんかコミカルで面白いなあ」と思うんだが、
森田ミツの登場から物語はどんどん暗くなってくる。
夜の渋谷とか新宿の描写とか、
場面場面の暗い描写が見事で読むものの心にジトーっとやな空気を運んでくる。
遠藤周作の「愛」とか「神」といった要素もしっかりと入っている。
エンディングはなんとも哀しい。
「どうにもならない悲しみ、苦しみ」の前にどうにもならない人間。
こういう作品にはリアリティを感じてしまい、個人的に好きである。

決して明るい作品ではないが、オススメです。

引退です。

とりあえず5年間お疲れ様でした。
2005年からコイツとともに楽しいことも辛いこともたくさん経験してきたな。
感慨深いですわ。

2010年7月18日日曜日

恵比寿「魚真」


魚をリーズナブルに食べられるのが魚真。
恵比寿店は渋谷店よりも明るくてよい。
まずはあら煮をオーダー。




かにみそ。
美味い。







生牡蠣。
秋田産であった。








さしみはアジといわしを
それぞれハーフサイズでオーダー。
少量づつ頼めるのが嬉しい。







白海老から揚げ。







あなご白焼き。
皮はパリパリ、身はプリプリで
焼き加減がうまい。





ほねせんべい。
これがせんべいのレベルをこえた美味さで驚いた。







いわしなめろう。
あっさりしてて美味い。






しめは5カン寿司で。
日曜祝日限定メニュー。
これで500円は安い。


こんだけ食べて飲んで2人で10000円。
いい店である。

以上!!!

ケータイ機種変更

5年使ったムーバを
ついに変えます。

2010年7月17日土曜日

目黒「BAR TINA」


22時半からTINAへ。

今夜は沢山の客で大盛りあがりであった。
店長のつかささんもマイケルジャンクソンのリミックスクリップをかけながら
「マイケル最高!!!」を連呼しながらノリノリで踊っていた。
やっぱいい空間だ。

23時半に店を出た。

お台場でサンボマスター

目黒で海老ぷりぷり餃子

BAR「TINA」でのりのりなひととき

というわけでなかなかいい3連休初日であった。
以上!!!

目黒「鎮海楼」


お台場を後にしたワタシと一緒にライブを観た大学同期で会社の同期でもあるM氏の2人は
目黒に移動。
「鎮海楼」へ行った。
汗をかいたのでビールがまいうーである。















腸詰。



















押し豆腐。



















名物の焼き餃子。
シバエビがプリプリ。
2個で十分おなかいっぱい。
いわゆる一般の「焼き餃子」とは別のジャンルの味である。















ついでに蒸し餃子もオーダー。
やはりエビのプリプリさが際立つ一品。

上機嫌で「鎮海楼」をあとにしてこのあと向かったのは
例の店であった。