2011年9月30日金曜日

蒲田「鳥万」

体調がよろしくないので平日は呑み会を減らしている今日この頃。
とはいっても金曜の夜くらいは呑みたいもんである。
というわけで会社の後輩のK君とその奥さんと3人で蒲田で飲み会。
場所は蒲田で有名なド大衆酒場「鳥万」。

ずっと前から行きたかった店。
なかなか訪ねる機会がなく初の訪問。
店は4階建てってのは情報として知っていた。
19時40分頃に入店すると、店のおばちゃんが
「4階を開けてもらうから3階の人に言って」
とのこと。
要するに3階までは満席だが、
4階はまだ誰も客がいないから閉まっている状態らしい。

階段を上がって3階へ。
そこで店のおばちゃんに声をかけ4階へ。
電気が消えている4階に灯りがついた。

まだ誰もいない4階に一番のりである。


















生ビールで乾杯したあとは梅きゅう、ポテサラ、
しめ鯖、あじたたきを堪能。
どれも300円台と安いのだがなかなかのクオリティ。
そして1時間もすると4階も多くの客でにぎわいだした。
さすがである。





そのあとはもやしニラ玉炒め、
やきとり(つくね、かしら、正肉、レバ)
まぐろぬた 
手羽餃子を食した。
やきとり(やきとん)は1本90円!!!しかもうまい。
まぐろはちょっとすじが固かったにゃー。




ラストは塩やきそばでしめた。これも380円と良心価格。
ひたすら瓶ビールを飲んで、
3時間でお会計は8000円台であった。
安いね~。
量もいい意味で少ないのでいろいろ楽しめる。
実にいいお店だ。また行きたい。
階段を下りてお店を出た。


 以上、素晴らしい金曜の夜であった!!!

2011年9月29日木曜日

吉村昭「三陸海岸大津波」

読み終えたのは先週21日に、台風直撃のために停車していた宇都宮線の中である。

吉村昭は淡々と事実を記しつつ、そこに過剰な演出ぬきでリアルな人間の心情を挟んでいるのが醍醐味だ。
この作品は東日本大震災以降書店で目立つ場所に置かれているので目にした方もいるに違いない。

内容は明治29年、昭和8年、昭和35年の3回、三陸を襲った津波の恐ろしさについて、被災者の証言や残されている小学生の作文などを織り交ぜながら書かれている。

最終章「津波との戦い」には岩手県宮古市田老町が3度の津波被害から、強固な防波堤(海面からは高さ10メートル以上)を作り、津波への訓練も欠かさず行っているという事実が書かれており、そこからは津波の被害に対して「同じ失敗は繰り返さない」という積極的な姿勢が強く感じられる。

ではである。
実際そのように津波対策をとっていた田老町にとって今回の3.11の津波の被害はどうであったのか?
調べてみたところと、なんとも恐るべきことに、田老町の住民のうち200人が津波により死亡したらしい。
頑丈なはずな10メートルの防波堤は無残にも今回の津波の前には崩れ去ったのだ。
3度の苦い経験からその対策を進めてきた田老町であったが、またしても津波に多くの人命を奪われてしまった・・・。
どれだけ今回の津波が歴史的にみてもすさまじいのかが伝わってくる。

2011年、この日本に生きるすべての人にぜひ読んでほしい。
そして今回の被害と過去の津波とを冷静に比較検証してほしい。
そんなことを思わせる本だった。

TMGE,ダウンタウンと絡むⅡ


下の動画から2年とちょっとたって2000年の放送。
メンバーみんなアカぬけてかっこよくなっているね。

相変わらず、浮かれることなくダウンタウンと適度に距離を置いているメンバー(とくにチバ)がワタシは好きです。

結局彼らとの絡みはこの2回だけ。
貴重な動画が現代はいとも簡単に見れていい時代だね。

2011年9月28日水曜日

TMGE、ダウンタウンと絡む。


この時期はひたすらYOUTUBEでミッシェル関連の画像ばっか観ている。
ダウンタウンとの絡みはなかなか面白い。
HEYHEYHEYにでるアーティストは
歌う前にどれだけ彼らに潰されないかが勝負だと思う。
その意味では97年出演時のミッシェルはダウンタウン相手になかなかいい勝負をしていると思う。

「とりあえずタンスから先運びこもうか」には爆笑。

2011年9月27日火曜日

名盤


気温がさがってようやく秋らしくなった。
急な変化に体がついていっていないようで
夜になるとやたらと体がだるい。

最近夜によくきいているのがヴェルヴェッツの3枚目。
1枚目のバナナアルバムの衝撃に驚き、
2枚目のさらなる衝撃とノイズの嵐にショックを受けた20代。
3枚目はそれらと違ってとってもやさしくけだるい。
この良さは30代になってようやくわかった気がする。

ではこれから聴きながら寝ます。

2011年9月26日月曜日

オレとミッシェルガンエレファント 2002年。

ミッシェルさんたちとワタシとの出会いから別れまでを1年ごとに綴る「オレとミッシェルガンエレファント」、
約1年ぶりの連載です。
「しらねーよ」という方はスルーしてください。

2002年はミッシェルさんたちにとって、かなり微妙な年であったと思う。

カサノバスネイクにフジロックのヘッドライナー、そして年末にはベスト盤のリリースなどで「パーティーをやりきった感」があった2000年。
そしてそれを経て、明らかにバンドがでっかくなりすぎたことへの疲労感とそれを打破すべき強迫観念にもにたヒリヒリとしたエネルギーを「ロデオタンデムビートスペクター(以下ロデタン)」という世界で見事に表現しきった2001年。
このあと彼らはどうなってしまうのか?
期待は高まるものの、そう簡単に新作を出したりはしないだろうなあということはなんとなく感じていた。それだけ01年11月のロデタンツアーのファイナルには鬼気迫るものがあり、燃え尽きた感すらあったのだ。

そして02年、
まず動きがあったのはチバユウスケだった。
元ブランキージェットシティーのベーシスト照井氏とROSSOを結成し5月にアルバムをリリース。チバはギターボーカルであった。
ミッシェルのライブで、チバはギターを弾いているものの、音はほとんど出ていない。はっきりと彼のギターの音がわかるのは「世界の終わり」のイントロくらいだろうか。
なのでチバのギターの音色を本格的に聴いたのはこのROSSOが初めてであったが、「予想以上に弾けてんじゃん」というのが感想だ。
ROSSOの曲はどれもメロディアスで適度にポップで好感のもてるものばかりだった。そこにはロデタンのような切迫感は希薄で、ミッシェルという重荷から解放されたチバがのびのびとやりたいことをやっているように感じられた。
そしてよくも悪くも、バンドのいちボーカルが、こういう別バンドを組んだりすると「いよいよ解散か?」なんて声が聞こえてくるものである。

ロデタンリリースから1年がたち、ミッシェルとしては新作のリリースがないなか「ROSSOもいいけど、ミッシェル早くやってよ」という想いがオレの中ででかくなっていった。

そんなミッシェルがロデタンツアー以来、公の場に姿を現したのは8月に開催されたライジングサンロックフェス(北海道石狩湾)であった。
勝手な意見であるが、今思えば、このころから彼らの「解散」にむけての序章がすでに始まっていたのではと思ってしまう。

この日のミッシェルの出番は夕暮れでちょうど日が沈み始める時間であった。ステージ前にはミッシェルのライブを長い間待ち焦がれて、期待で胸を膨らませるファンが集まった。

久々に登場したミッシェルさん。
1曲目はなんと「ドロップ」だった。ミディアムテンポのこの曲は夕暮れの石狩湾というロケーションには実にマッチしていて見事だったものの、明らかにこのときのファンにとっては肩すかし的な始まりであったと思う。
ちなみに、1年後の解散ライブの1曲目も「ドロップ」である。

2曲目は「ブラックラブホール」という新曲。
通常ワンマンライブではないロックフェスで、アーティストは割とわかりやすい選曲のライブをやるものであるが、この日のミッシェルは客への迎合はほとんどなしで、未発表の新曲を多めにやっていた。
ようやく客が喜んだのはラストの「ダニーゴー」くらいか。
このころの新曲は「水色の水」のように、どれも割と複雑なリズムの曲がおおく、スコーンと抜けのよい曲が少ないのも象徴的である。
まちにまった久しぶりのライブで、「わかりにくい」新曲ばかりをいきなり披露されてファンは戸惑いを隠せなかったのではなかろうか。

そしてこの「戸惑い」はミッシェルさんたち自身も感じていたと思う。
このあと9月よりツアーがスタート。
とはいってもアルバムリリースの予定はまだ未定。
アルバムリリースなしのツアーである。
これもここ数年ではめったにないことであった。
奇妙に感じたのはそのツアータイトルである。
「Where is Susie?」という名のツアーだ。
疑問文という、なんとも妙なタイトルである。
これまで新作ごとに確信に満ちた世界観を構築し、迷うことなく怒涛のライブパフォーマンスをしていた彼らが、ここへきて明確な世界が見えずにそれ自体を探しているかのようなタイトルである。
まあチバユウスケとかに言わせたら「意味はないよ」の一言で一蹴されると思うけど。
最近になってようやくこのスージーツアーの映像を見ることができたが、その内容は正しく新旧織り交ぜたもので、新曲もあれば「キャンディハウス」なんかもやったりしていて、悪くいえば節操のないセットリストで、全く持って統一感や流れがないライブであった。

このスージーツアーを経て12月にはニューシングルをリリース。
タイトルは「太陽をつかんでしまった」。
そしてなぜかレコード会社をユニバーサルへ移籍。
「太陽をつかんでしまった」のPVを観て、一つだけ嬉しかった点があった。それはアベの使用ギターが全盛期に使用していた赤いテレキャスターに戻っている点であった。しかしそれ以外は曲調も歌詞も明らかにこれまでのミッシェルらしさは全く感じられない曲で、しかも8分近い長さ。
「いよいよ違うステージにたどり着いたなあ」と痛感。特に歌詞はミッシェルというよりもチバの1人称で書かれており曲中の「ぼくはそう思う」というフレーズに「これってチバのソロ?」とオレは驚いたのだった。

こうしてこれまでとは全く違う活動内容ばかりの奇妙な02年が終わった。
この時点でミッシェルさんたちは明らかにこれまで音を鳴らしていた世界を超えて、虚無感しかない空間(それがサブリナヘブン?)にたどり着いてしまったんではなかろうか。
新たな世界を求めてスージーツアーをやってはみたものの、結局それも見つからず、たどり着いたのは何もない宇宙の果てだったのではないか?やや抽象的ですいません。
だがその証拠に、宇宙の果てを哀愁たっぷり奏でたような「ドロップ」という曲が、この曲がリリースされた2000年よりも、この時期の方が何倍もリアリティをもって響いてくるのだ。
なんかの音楽雑誌でスージーツアーが終わったあと、「スージーは見つかりましたか?」という記者の質問(なかなかいい質問だ)にキュウかウエノのどちらかが「結局いなかった」というようなことを答えていたのを覚えている。
もっと行ってしまえば、スージツアーで何もみつかんなかった時点で解散を決意したのではないかと思う。

次回は2003年、ついに最終回です!!!
(つづく)

2011年9月25日日曜日

蒲田「インディアン」

10時過ぎに起床。
11時半頃にジムへ。
ミッシェルを聴きながらランニングと腹筋。
ランニング中に「赤毛のケリー」って曲が名曲であることを再認識。

シャワーを浴びてからジムをでて、蒲田のインディアンで昼食。
支那そばと半カレーセット1000円をオーダー。
薄味の支那そばのスープは、
途中で出てくるカレーを食べると相乗効果でグっと味がひきしまる。
この「味のジャムセッション」がたまらん。

ただいま部屋で爆笑問題のラジオ聴きながらブログ更新中。
平和な日曜日だ。

2011年9月24日土曜日

バンド練習

22時より蒲田のスタジオにてバンド練習。
ボーカル不在で3人のみでの練習。

やはりボーカルがいないと楽しさにかける。

ライブの日程についてはいまだに未定。
色々と課題が多い。
年内にはやりたいなあ。

五反田「魚金」

新橋で有名な魚金。
いっつも混んでて入れたためしがない。
まあ予約すればいい話なんだが。

五反田にもあったので初の入店。
青魚6点盛り、(コハダ、アジ、イワシ、カツオ、サンマ、なめろう)
鯨竜田
白エビから揚げ
の3品をオーダー。






































うーん、
二日酔いじゃなければもっと美味しかったかも・・・・。


以上!!!

2011年9月23日金曜日

結婚式2次会

2次会は恵比寿にて行われた。
周囲は大学関係の知ってる人ばっか。
披露宴もそうだったけど知ってる人ばっかだとやはり楽しい。



披露宴で飲みすぎたために2次会ではかなりフラフラな状態。
2次会後、剣道部先輩のSさんと徒歩で「亭屋」に向かうもこの日もやっておらず、結局目黒まで行って「銀角」で美味しい手羽先を食べて、
そのあとTINAにいって22時20分頃に店を出た。
どうやって帰ったか全然記憶なし。

I君、Nさん、ご結婚おめでとうございます!!!

同期結婚式

同期I君と先輩Nさんの結婚式。
すばらしい披露宴でした。
これから二次会ですが
すでにかなり酔ってます。

2011年9月22日木曜日

終わらせ方。


アベは自らギターの弦を引きちぎり、
チバは自ら舞台を最初に去る。

冷静に見ても
「バンドを終わらせる」ことに全力をかけているのがよくわかる。
なんて潔いんだろう。

そうはいってもメンバーは悲しい気持ちだけは隠せないようで、
その表情は観ていてつらいものがある。
とくにアベの表情は実に切ない。

最後にやった曲はデビューシングルで、
タイトルは「世界の終わり」。
何もかもがきまりすぎてて、真面目すぎる。
言葉では語らずライブパフォーマンスのみで語る兄さんたち。
こういうバンド、これからも出てきてほしいな。
いまんとこいないけど。

今年も10月11日が近付いてきたな。

たまにミッシェルのことを書きたくなるので書いた。
興味のない方はすいません。

2011年9月21日水曜日

絶望という名の京浜東北

こういう日に限って小山で商談。
商談は15時半には終了。
小山駅に15時45分に到着。
宇都宮線は16時頃に到着。
風と雨が強まる中乗り込んだ。

強まる雨風にぴったりなニルヴァーナのライブ盤を聴きながら
電車に揺られてしばし睡眠。
ふと目が覚める。
電車が止まっているようだ。

駅はさいたま新都心である。
17時過ぎ。
強風のため首都圏のほぼすべての電車が止まっているらしい。
30分が過ぎた。
これはしばらく動かんなと思い、読書をすることにした。


吉村昭「三陸海岸大津波」。
電車が止まっている間に完読。
津波の恐ろしさを痛感。

しかし電車はまだ動かない。
2時間半が経ち、19時50分に京浜東北線が運行開始の知らせがはいった。
しかも蒲田行きだという。
これは行くしかないだろということで宇都宮線を出て1番線ホームへ。
到着した京浜東北はすでにぱつんぱつんだ。
ここから地獄の圧死列車の旅が始まった。

速度をおさえての運転とのことで、めちゃめちゃ遅い!!!1駅間で10分は当たり前である。
しかも着く駅着く駅すごい数の人が乗ってくる。

オレは冷静に考え、「京浜東北は蒲田方面は進行方向右側のドアしか開かない」という点に気づいた。なんとか左側のドア側へ移動。
オレの計算によれば京浜東北の蒲田どまりは蒲田に着くとイレギュラー的に左側のドアが開く。これで蒲田までは安心してドアに寄りかかっていられる上に、蒲田では一番先にホームに脱出できるわけだ。
めでたしめでたし。ベスポジ確保だ。

しかしスピードが遅い。
駅数が多いのに加えて1駅間15分くらいかかっている。
1時間かけてようやく王子にたどり着いた。
王子を過ぎてからようやく平常通りのスピードに戻った。
がしかし、上野あたりからまたまた乗客数が激増。
明らかに列車内の圧力が倍近く増したように感じられた。
秋葉原、神田、どんどん乗ってくる。
降りるのにも一苦労だ。

東京に近づいたら今度は駅名を告げる録音アナウンスがバグりだした。
「次はさいたま新都心、さいたま新都心です」
おい、これでまたさいたま新都心戻ったらオレは狂うぞ!!!
単なる間違いとはいえマジ勘弁。

その後も「次は浦和~」とか相変わらずのボケっぷり。
乗客は苦笑しようにも笑う気にもなれない。
精神的にも肉体的にも限界にきている状況でこのアナウンスはマジで勘弁であった。
そしてそして新橋を超えたあたりでいつの間にか蒲田行きであったこの列車が大船行きに変更していることが判明。
オレの「左側ドアハッピー計画」はもろくも打ち砕かれた。

蒲田について大声で「降りまああああす!!!」を連発しながらなんとか下車。
時間は22時半を回っていた。
小山駅についてから7時間近い旅だった。

23時前に地元について駅前の中華料理屋で迷わず生ビールをオーダー。
地獄列車の旅3時間の余韻を洗い流した。




















今日は昼食はほとんど何も食べてなかったので生き勇んで蒸し鶏と麻婆チャーハンをオーダー。2つで1600円。大人の夕食。
こういうのをヤケ喰いっていうのだろう。
 

でも最近胃が小さくなっているのかおなかいっぱいすぎて苦しくなった・・・。

ではもう寝ます!!!腰が痛い・・・。

2011年9月20日火曜日

クワガタ君たちは元気です。

急に気温が下がって、人間は過ごしやすかったけど、
オオクワガタにとってはそうでもないようで、
2匹ともすこしおとなしくなった気がする。



今夜はこれまでずっと掃除をしていなかったケースを清掃し、床に敷いているキッチンペーパーも取り替えた。
こんな感じでマットは使用せず、キッチンペーパーを敷いてあとは枯れ木とエサ台だけを設置して飼育している。
これだとクワガタ飼育で悩みのタネとなるダニがまず発生しない。

キッチンペーパーを敷かないとケースの床にクワガタが滑ってしまう。

ちなみに2匹のクワガタにはフトシ(オス)とフトミ(メス)という名前をつけた。
由来については言うまでもない。
09年に人間界を去ったあの男が、
その後クワガタの幼虫として生まれ変わり2年かけて11年に晴れて成虫になったという設定はいちよースジが通る。

では寝ます。


大森「福の神」

今夜はもともと1人で夕食をとる予定であった。
帰りのバスで偶然同じ部署のSさんと遭遇。
その場で夕飯にさそったらありがたくOKをいただいたので大森は「福の神」でサシのみとなった。
「福の神」、なんだかんだでずっと行ってなかったなあ。
1年以上行ってない。
相変わらずの人気ぶりで、連休明けのウェイークデイであいにくの天気なのに店内は多くの客でにぎわっていた。

仕事の話はほとんどなしで、本や映画の話でかなり盛り上がり楽しいひとときであった。

ここの焼き鳥は全体的に小ぶりで食べやすく、女性をターゲットにすることに見事に成功している。
これは特筆すべき事項である。
事実この日も多くの女性客やカップルでにぎわっていた。
店内の雰囲気はそこそこいいけど値段はかなりお手頃だ。
今夜も2人で2時間かなり飲んだけどそこまで食べなかったから5000円台で済んだ。
この調子で頑張ってもらいたいね。

2011年9月19日月曜日

SCOOBIE DO,GOING UNDER GROUND LIVE at UNIT

ROOT&UNITED Vol.16。
今日のお相手はゴーイングアンダーグラウンド。

ゴーイングアンダーグラウンドのライブを観るのは初めて。
昔4年前に行ったアロウズのライブ会場に松本氏がいたなあ。あのメガネ+帽子だったんですぐわかった。

ライブはというと、とてもここちよくて言葉が伝わってくるパフォーマンスだった。

知ってる曲は1曲もなかったけど好感を持てたな。
けっこう長くやってたなあ。



そしてスクービー。
4月のROOT&UNITED 以来だ。
1曲目はなんと「茜色が燃えるとき」でスタート。
ここんとこずーっと「PLUS ONE MORE」だったので、意外な始まりだった。
2曲目で「PLUS ONE MORE」だったと思う。
これで本格的にフロアが爆発。

その後はメロウな曲が続く。
「Rock'n Roll」、久々に聴いたわ。

かなり昔のソウルナンバー、「また逢う日まで」は初めて聴いたけど心にグっと来たなあ。
10月5日発売の新作からはタイトル曲「MIRACLES」が披露された。

そしてこのあとようやく「TIGHTEN UP」だ。
熱を帯びるフロア。
そのままお決まりの「BACK ON」。
この2曲はいままでどおりやるんだね。
正直もうこの2連続攻撃には飽きたかも・・・。

ラストは「夕焼けのメロディー」。
リーダーのギターがキラキラしててこの曲は大好き。

アンコールはゴーイングの松本氏とギターが加わって
オザケンの「愛し愛されて生きるのさ」。
これも大好きな曲なのでうれしいセッションだった。
そのあとスクービーのみで「ラストナンバー」で終了。

うーん、「PLUS ONE MORE」始まりじゃなかった時点でイマイチ燃えなかったなあ。
どうせなら完全にこれまでの流れをぶち壊す感じにしてほしかったが
結局「TIGHTEN UP」→「BACK ON」は予定調和的にやってたりして、中途半端なカンジは否めない。
今後のライブ構成に期待します!!!

写真は物販で購入した「TIGHTEN UP」Tシャツ。
スクービードゥーのTシャツのセンスはホントにすばらしいと思う。
普段着としてもマジ使えるわ。

以上!!!



吉村昭「海の祭礼」

吉村昭3冊目。

これまた面白い。

鎖国を続ける日本が、アメリカやイギリスなどの大国から開国をせまられ、
通商条約を結んでいく中で
攘夷論が沸き起こり、最後には幕府が崩壊するという激動の時代を、当時の通訳として外国との交渉にあたった重要人物である森山栄之助の半生を中心に見事に綴っている。

ペリーのとったアメリカの軍事力を最大限に武器にした高圧的な姿勢など、小学校の歴史の授業からはわからなかった当時のリアルな状況がひしひしと伝わってくる。



次は何を読もうかなあ。

2011年9月18日日曜日

連休中日

連休中日だったが家から一歩もでずに過ごした。

歯の治療についてずっと考えていた。
昨日歯医者に言われたのは
矯正も含めて150万くらいかかる本格的な治療を1年がかりでやるべきだというもの。

歯についてはずっと気になっていたので
これを機にやってみようかなと思っている。
独身だし経済的なことも考えるとしっかり治療するならいましかないかなと。

しかし100万以上の出費は自分のためとはいえデカイ投資だ。

写真は今年2月にかったショットのワンスター。
もう暑い夏は飽きた。
早くこれが着られるくらい涼しくなってほしい。

2011年9月17日土曜日

目黒「BAR TINA」

目黒で向かったのはTINA。
しかしトビラはしまったまま。

しかたなく駅近くのカラオケで時間を潰すことにした。
22時半前に店長つかささんのケータイに直接電話すると、つながった。
ようやく開店した模様。山の手線が止まったのでオープンも遅れた模様。
カラオケをすぐに終えてTINAへ移動。
この日はA君のリクエストでマイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVを鑑賞したりした。
相変わらずナイスな空間だった。
23時50分頃に店を出た。
また行きます!!!

 


恵比寿「純ちゃん」

歯医者を終えてから夜は後輩A氏とサシのみ。
目黒に呼び出して、「亭屋」に向かったが
まさかのお休み。
残念・・・。
結局恵比寿まで移動。

最終的に入ったのは恵比寿横丁。
多くの人でにぎわっていた。




















店は「純ちゃん」という博多料理の店。

味はどれもまあまあ。
全体的に値段が高め。
二人で約2時間の滞在で11000円もいってしまった。


 
途中で流しをやる人が登場。「パリ中山」という芸名で、500円で1曲歌ってくれるらしい。せっかくなんで頼むことにした。エレファントカシマシの「今宵の月のように」をリクエスト。なかなか上手だった。
こうして恵比寿を21時半前に後にして電車で目黒へ移動。
(つづく!!!)

小さな幸せ

つけめんを食ってから家に帰る途中で
コカコーラの自販機でコーヒーを買ったら、
なんとコーヒーの他に「ハッピー缶」が
当たった!!!

とはいえ、このご時世、「うかつに缶を開けて爆弾だったら・・・」なんてイヤな予感もしたので、
念のために家に帰ってからネットで「コカコーラ ハッピー缶」で検索してみた。
するとかなりのヒットが。
どうやらただの景品のようだ。









安心して缶を開けてみると、
中はギターとピックがデザインされたクールなイヤホンだった。
使うかどうかはわからんがちょっとはうれしい。
小さなハッピーを感じた土曜の午後であった。