2007年11月12日月曜日

「バベル」について追記。


以下はすべて私の妄想にすぎない。事実関係の裏付けは一切ない。
それをご了承の上読んでいただきたい。
昨日鑑賞した「バベル」についていろいろ考えた。そしてとある説がオレの頭に浮上した。
それは、
「アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督はミスチルのファンではないか説」
である。
(←イニャリトゥ監督)

昨夜渋谷でのライブからの帰りに電車の中でオレはバベルについてあれこれ考えていた。
「本来愛しあうべき人間達がなぜか理解しあえずに傷つけあう。ん?なんかこの映画のテーマにすごくあった歌詞の歌があった気が・・・」
あ!そうだミスチルの『掌』だ!」

♪抱いたはずが突き飛ばして
包むはずが切り刻んで 
撫でるつもりが引っ掻いて
また愛を求める♪

理解しあうべき人間が傷つけあう。これ「バベル」っぽいだろ!
いやもっと「バベル」っぽい歌詞があった気が・・
そうだ『タガタメ』だ!

♪子供らを被害者に加害者にもせずに
この街で暮らすためまず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
出来ることといえば
涙をながし 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?♪

このサビの歌詞はどう聴いても「バベル」じゃないか!
モロッコの羊飼いの一家は子供が加害者になり、そして終盤には被害者になってしまう。
ブラット・ピットの妻はそのモロッコの子供の被害者だ。ブラピは夫としてただただ妻を守るため泣き叫びながら介護にあたる。そのブラピ夫妻の子供はメキシコのベビーシッターが砂漠で見捨てたことで被害者となり、ベビーシッターは子供を守りきれなかった自分を加害者として責めて泣き叫ぶ。
タガタメのクライマックスの歌詞は以下の通り

♪でももしも被害者に加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りも無く
愛すこと以外にない♪

どうみてもこれ「バベル」だろ!
「バベル」のラストは登場人物たちがみな激動の嵐をぬけてお互いの愛すべき人を深く抱擁しあう場面が多い。なんだかんだいっても最後はただただ相手を抱きしめて、つまり「愛する」以外に道はないという事だろう。
つまりまとめると・・

人はなかなか分かり合えない。
そしてときに傷つけあう。
特に現代においてはときに故意ではなくても暴力をもって加害者にまたは被害者になってしまう。
もし自分の子供(あるいは妻)がそうなってしまった場合、
結局のところは抱きしめて愛するしかない。


この通り「バベル」と「タガタメ」の趣旨は見事に一致するではないか!
←このブラピが子供に電話して泣いている場面なんていかにも「タガタメ」的だろう!
これが偶然なのか?そんなわけない!

というわけでイニャリトゥ監督はずばりミスチルの大ファンに間違いないのである。
日本でロケするくらい日本が好きなんだから当然ミスチルの存在も知っているに違いない!



というのは全て私の妄想にすぎないのであるが
あまりに一人で盛り上がってしまい気持ちが抑えきれないのでこの場で書かせていただいた。
事実とは関係ない点を重ねていっておく。
以上!!

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