2007年7月30日月曜日
「天然コケッコー」鑑賞。
山下敦弘監督
2007年日本映画
月曜だが会社を私用で休み、シネスイッチ銀座にて「天然コケッコー」を観てきた。
期待以上に良い作品であり、とても良く気分転換ができた。
最初にいっておくけどオススメです!!
ど田舎の木村町にすむ右田そよは中学2年生。学校は小中合同の校舎で全校生徒は6人。毎日全員で登校するなど家族のように平和に暮らしていた。そこに東京から転校生の大沢広海がやってくる。「イケメン」同級生の登場にそよは初恋の予感を感じるが父はなぜか大沢との交際を猛反対する。
てっきり「恋愛」がメインの物語かと思いきや、決してそうではなかった。
そよとその家族や学校の仲間達の田舎でのこころあたたまるスローな生活がメインである。
山々の風景や海、学校の教室、机や椅子、給食、夏の祭りなど観ているだけでもここちよい。
その中の1つに大沢との「恋愛」があるにすぎず、それも「恋愛」と呼べるようなものではなく中学生らしい甘酸っぱいものであり、どこか間抜けで笑いを誘う。大沢の役柄がもっと生意気で大人っぽい男であったなら話は変わってきたと思うが、東京から来たという設定以外はごく普通の中学2年生の男子であり精神年齢はあきらかに田舎者のそよの方が上のように感じた。なので田舎の生活にも普通になじんで物語の中でもさほどの事件は起こさずにおとなしくしていたと思う。
主演の夏帆は力の抜けた見事な演技でこの作品のここちよい雰囲気を決定付けていたと思う。
父を演じた佐藤浩一や夏川結衣も重過ぎず軽すぎずでいい仕事をしていた。
そして学校の生徒達が(特に小学生)これはもう演技ではないのかもしれんが、ほんとに可愛かった。
終始淡々と物語は進むがそれでも中学2年から3年になりそして卒業して高校へという2年間におけるそよの成長を丁寧に描いていて好感がもてる。中学3年時に東京へ修学旅行へ行くが、あまりの人ごみに圧倒され逆に田舎の良さを痛感する場面も感慨深い。
「リンダリンダリンダ」もそうだったが山下監督は力の抜けたスローなテンポの演出が見事でこの作品にはまさにうってつけの監督だったと思う。が、ただただゆるい映画かと思えば決してそうではなく、給食放送のシーンや校内清掃のシーンなどなんてことない場面に誰もが共感するノスタルジックな愛らしさを上手く織り込んでおり見事である。東京に来た場面では田舎では映らなかった雨に塗れて黒々と光るアスファルトをアップで映したりしていて、さりげないけど実に上手いのだ。
というわけで山下敦弘監督の演出のさりげない上手さと島根の田舎の情景が実によくマッチした大変良い作品であった。
時と場所、一緒に観る人などを選ばずに誰にでもオススメできる愛らしい作品だ。
興味を持った方はぜひとも今のうちに劇場で観ていただきたい限りである。
(生涯595本目の作品)
SUN SET LIVEまであと32日!
2007年7月29日日曜日
「太陽はひとりぼっち」鑑賞。
ミケランジェロ・アントニオーニ監督
1962年 イタリア、フランス映画
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品は常に「不安」な雰囲気が漂う。
その「不安」は結局のところ現代において人が他者と解りあえない事が原因である。
セリフも極端に少ないが、それはどの登場人物も言葉での他者とのコミュニケーションにはすでに限界があることに気づいているかのようである。
このなんともいえない独特の不安感にハマった人にとってはアントニオーニは「名監督」となるが、
これを受付ない人にとっては「全くもって退屈な映画をとる監督」となってしまう。
この「太陽はひとりぼっち」もそんな「不安」が終始漂っていた。
「情事」「夜」と並んで「愛の不毛3部作」と呼ばれているらしい。
「愛の不毛」とはよく言ったものでまさにそのとおりの作品であった。
物語としては実にシンプルであり主人公ヴィットリアがフィアンセとなんとなく別れて、別の男ピエロとつきあい始めるがそこにも愛は見当たらないというただそれだけの話であり、ストーリー性を楽しもうとすると完全に肩透かしを食らうだろう。
一番の見所は終始不毛の愛にけだるいやるせなさを漂わすモニカ・ヴィッティの美しさであろう。そしてそんな彼女に若者らしい愛を勢いよくぶつけるアラン・ドロン扮するピエロもまた美しい。しかしどんなにピエロが愛をぶつけてもヴィットリアの表情から倦怠感が消えることはない。この2人の対比が見事である。
そしてあまりに唐突なラストに「終わりかよ!」と思わず声をあげてしまった。
よく考えるとアントニオーニの作品のラストはどれも答えがいっさいでないのが特徴である。これはもう意識的にそうしているとしか思えない。不安なまま始まって、不安なまま作品は進み、ラストも不安なまま終わってしまう。人間の持つ根底に漂う他者への不安をここまで徹底した無情さで描いているのは彼以外に考えられない。
物語と全く関係のない風景や場面が多いのも特徴である。
特に乾いた都会の風景の数々はどれも圧迫感や不穏な雰囲気にあふれ、観るものの不安倍増である。
というわけでこの「不安感」がたまらないアントニオーニ作品。他の作品もDVD化を望みたい限りである。
(生涯594本目の作品)
SUN SET LIVEまであと33日!
2007年7月28日土曜日
「インランド・エンパイア」鑑賞。
デイヴィット・リンチ監督
2006年アメリカ映画
恵比寿ガーデンシネマにて先週観ることができなかった「インランド・エンパイア」をついに今日観てきた。
良くも悪くも期待通りのリンチ作品であった。
観終った直後は「超ワケわかんねー」というのが率直な感想だった。けどつまらんわけではなかった。
ある有名な映画のセリフを引用してこの作品の鑑賞方法を言うのなら
「考えるな!感じろ!」
そんな作品だと思う。
ニッキーはハリウッド映画「暗い明日の空の上で」の主演女優に抜擢される。その映画は昔ポーランドで途中まで製作された映画「47」のリメイクで、「47」は主演の二人が殺されたために製作中断となったいわくつきの作品であった。ニッキーは「暗い明日~」の主役スーザンを演じていくうちに映画の脚本と同様に主演男優デイブと不倫の関係になっていく。ここまでは物語も分かりやすく普通に観ることができる。
がしかし、ニッキーがある日撮影スタジオから奇妙な「部屋」に迷いこむ場面以降は物語の時間軸や空間軸は爆発して機能しなくなり、時空間を一切無視した断片的な悪夢的映像のオンパレードとなる。ここからは理屈が通用しないので観客は感性で感じるしか手はなくなってしまう。ニッキーがいきなり時空を超えてポーランドへワープして「47」のただならぬ世界を体験したり、「部屋」で踊る娼婦達が現れたりとそれぞれの映像、キャラクターがどうつながっているかは理屈では説明しようがないので感覚に観るしかない。映画の中に「暗い明日の~」と「47」という2つの映画内映画が存在しそれぞれと現実との区別が非常に分かりにくい、というか全く分からないのでもう大変だ。ニッキーの実の金持ち夫が映画内映画でも冴えない夫役をやっていたりして「へ、旦那も俳優だったの?」とか考えだすともうどうにもこうにもならないので余計な事は考えないほうが良い。
それでもなんとなく分かるのは、この映画は「47」の主演女優で撮影途中に死亡した女優の亡霊が、ニッキーの時空を超えた冒険により最終的に報われて成仏する、そんな物語なのではないかということである。
これも私個人の勝手な推測にすぎないが。
この映画の映像はフィルムではなく全編ソニーのデジカメで撮影されいる。そのために映像は粗くぼんやりとした不安をあおる感覚がありこの作品にはマッチしていたと思う。
というわけで「インランド・エンパイア」は理屈ではまったくわけ分からん怒涛のリンチワールド炸裂の悪夢的作品であった。
しかし分からない分だけ観終った後も頭から離れないんだよな~。DVD化されたら絶対買って観なおすと思うし、この「分からなさ」ってもしかしてリンチの策略では?なんて事を思った1日であった。
(生涯593本目の作品)
SUN SET LIVEまであと34日!
2007年7月27日金曜日
森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」
昨日の「太陽の塔」に続いてたったいま「夜は短し歩けよ乙女」を読み終えた。
まさに想像を絶する面白さの作品であった。
ジェットコースターに乗って京都の街を猛スピードで回った気分だ。
この世界観をいったいなんと表現すればいいのであろうか。
スピード感があってエネルギッシュで時としてファンタジックで非現実的なのだが、主人公の京大生の語り口は妙にリアルで気づいたらまんまとハマってしまう。前ぶれなく突然現実から非現実的な設定へ暴走する勢いがなんとも痛快である。登場人物もみな強烈な個性を持っている者ばかりだがどことなく知的で物語を壊さない程度に上手く立ち振る舞うので愛着が持てる。
巨大な緋鯉の置物や頻繁に登場する達磨、3階建ての電車、学園祭での移動式ゲリラ演劇などなど出てくるヒト、モノ全てに独特のイマジネーションが絶妙に効いており、読むと頭の中で原色豊かなアニメのような世界がパワフルに浮かびあがった。もしこの作品を映画にするのであれば実写よりもアニメの方が断然いいと思われる。
そしてそういったごちゃごちゃしたカオス的な世界の中にも、主人公とヒロインの心情を豊かに綴った恋物語がしっかりと存在しているので安心して読むことができる。このヒロインが「男が理想とする凛としたかわいらしさ」のみで作りあげたようなキャラであり「こんな女性、現実にはぜってーいねーよ」と最初は思いつつも、気づいたら彼女を応援してる始末。どう読んでもこの作品には完敗である。
巧妙な語り口と圧倒的なスピード感にまんまとのせられて破天荒で魅力的な世界を堪能すれば、この上ない至福の瞬間を味わうことができるだろう。
超オススメの作品である。
SUN SET LIVEまであと35日!
2007年7月26日木曜日
森見登美彦「太陽の塔」
森見登美彦のデビュー作品。
全編通して京都を舞台に必死でのたうちまわる京大学生の行き場のない青春物語である。
これほど笑い、そしてこれほど主人公に共感した本はいままでなかった。
妄想好き、自意識過剰、根拠のない自信を持ち、過去の失恋を引きずり、世間の恋愛礼賛の風潮を批判etc読めば読むほど自分と重なって仕方なかった。しかも世間を批判しながらも結局はそんな世間とつながっていたいという願望を持っているただの寂しがりやさんなのだ。
この主人公の心情、哲学に基づく独特の文体は大変リアルで面白い。登場人物もほとんど男連中のみで、これまた男くさく、どこか屈折した面々ばかりだ。しかもクールではなく全力で屈折しているのでなんとも暑苦しいのだが、そこが愛らしくて憎めない。
この作品の登場人物はみな己の確固たる信念に基づき、自分達を認めない世間に対して必死で抵抗し戦っているのである。
その戦いはラストで想像を絶する面白さとなって京都の四条を中心に無差別テロのように展開する。この面白さは是非ご自分の目で読んで確かめていただきたい。よくまあこんな展開思いつくよ、ホント。
さえない青春からふっと抜け出したような幻想的な夢(妄想?)の場面が所々に入り込むのもまた良い。
この作品で森見登美彦にすっかりハマってしまった。他の作品もどんどん読みたいと思う。
さて、今回紀伊國屋書店で購入したのだが、帯にかかれた店員によるオススメコピーがこれまた秀逸であったので記しておく。
妄想が暴走
欲望が迷踪
失恋で遁走
男達は失踪
我々は爆笑
by紀伊國屋書店本町店 酒井和美
この韻を踏んでいる部分がなんとなく向井修徳っぽい気がしてならんのだが・・。
本町店の酒井氏はZAZEN BOYS好きなのだろうか?なんて考えたりした今日この頃である。
SUN SET LIVEまで36日!
2007年7月25日水曜日
Adriana Calcanhotto LIVE at LIQUIDROOM
大学時代の親友からお誘いがあり、本場のブラジル音楽のライブに行ってきた。
ラテン音楽雑誌「ラティーナ」主催のライブであった。
出演者は、
アドリアーナ・カルカニョット
モレーノ
ドメニコ
カシン
の4人。基本的にはアドリアーナがメインで歌っていたが他の3人も何曲かボーカルをとっていた。
全く予備知識なしでいったので4人とも知らなかったけど、本場のラテンミュージックをゆったり楽しむことができた。
何よりも感じたのは彼らと音楽との「距離感」が日本人とは全く違うということである。
前半から中盤まではゆったりとした静かなサンバやボザノヴァの曲が続く。
ドラムやパーカッションといったリズムをとる機材はなく、その代わりに終始ドメニコがMPCというサンプラーのような機材でリズムを指で弾きだしていた。その結果どの曲も楽器の音は非常にシンプルで静かなものとなり、アドリアーナの歌声が曲のメインとなってゆったりとフロアに響き渡った。
4人とも音を楽しむようにリラックスしながら演奏しているように感じた。
アドリアーナの深みのある歌声はこれぞブラジル!といった感じで知的で奥深くやさしい。まさしく美声であった。そしてカエターノ・ヴェローゾが父だというモレーノの歌声もまた繊細で切ないファルセットボイスが心地よかった。4人とも決して熱唱はせずにささやくように歌うその力の抜き具合が絶妙であった。
後半になるとアップテンポの曲で会場からも手拍子が起こり盛り上がりを見せた。ここではMPCが打ち込みのようなリズムになって、曲をよりポップなものに変えていたのが印象的であった。
2回のアンコールでライブは終了。
前半の静かな雰囲気が良かった。ああいう風にシンプルにギターでリズムをとって、ささやくように静かに歌うというのは日本では見られないやり方だと思う。裏を返せばそれは生活の中に音楽が溶け込んでいるからできる事なのだと思う。彼らにとっては音楽が日常の中に自然とあるので、変に力んだり叫んだりする必要がないのだろう。大規模なロックフェスなどで非日常として音楽を楽しむ日本人とは音楽との距離感が違いすぎるのだ。
途中ドメニコがボーカルをとっている曲の最中にアドリアーナがなんとリンゴをかじってそのかじる音を流していた場面があったが、彼らにとって音楽とはリンゴをかじることとそう大差ないごくごく自然な日常の一行為なのであろう。
楽器にしても4人全員が各々ギターも弾けばベースもひき、チェロもこなす。それもごくごく当たり前のようにリラックスして弾いており全くもって気負いがなく自然である。
「音楽」とは音を楽しむと書くが今日の4人はごくごく当たり前にそれをやっていたと思う。
「音楽」を日常を忘れるための非日常として楽しむのではなく、日常の中に当たり前のように「音楽」がある、そんな人間になりたいものだが日本にいる限りは難しいだろう、なんて事を考えた夜であった。
SUN SET LIVEまであと37日!
2007年7月21日土曜日
「アヒルと鴨のコインロッカー」鑑賞。
中村義洋監督
2006年日本映画
恵比寿ガーデンシネマで本日から公開の「インランド・エンパイア」を観る事ができなかったので、仕方なく同じ場所で上映中の「アヒルと鴨のコインロッカー」を観てきた。
原作は伊坂幸太郎。私の好きな作家だ。ちなみに原作は読んでいない。
面白かった。そして感動した。
もともと伊坂幸太郎の作品は物語の展開が実に巧妙でセリフもしゃれているので読んでいて「映画化したら面白そうだな」と何度も思っていた。本作も物語展開とセリフのうまさで観るものをグイグイ作品の中に引き込んでいく。しかもただ面白いだけじゃなく予想以上に感動的なのだ。
役者が良い。難しい設定のキャラを力まずに見事に演じた瑛太、短い登場ながら強烈な印象を残す松田龍平、観客の視点でとまどいながら物語に巻き込まれていく濱田岳、意志の強いヒロインをまっすぐに演じた関めぐみ。設定にはかなり無理があるものの、全ての登場人物が懸命に生きようとしているゆえに観ていて非常に感動した。複数の人物が避けられない運命に巻き込まれながらもそこから抜け出そうともがいている様子はまさに伊坂幸太郎の世界そのものである。
音楽を効果的な道具にするのも伊坂作品の特徴である。この作品ではボブ・ディラン「風に吹かれて」がテーマソング的な役割をしているがどこか世間を冷徹な視点で見つめるディランの声とこの作品が実によくマッチしていたと思う。
原作は読んでいないけど予想以上に感動的な悲しい世界であり伊坂幸太郎のことをまた少し好きになった。
いい気分で19時からの「インランド・エンパイア」がまだ上映中のガーデンシネマを横目に恵比寿を後にしたのだった。
(生涯592本目の作品)
SUN SET LIVEまであと41日!!
2007年7月19日木曜日
the ARROWS LIVE at LIQUIDROOM
会社帰りにアロウズツアーファイナルに行ってきた。
踊りまくった。明日は筋肉痛だな。。
感想は「どうもお疲れ様でした」の一言である。
色々思う所はあるが、いいライブだったと思う。
ツアーファイナルはメンバーとドラムの5人に加えて、ホーンセクション3人とキーボード1人を加えた9人編成の大所帯。が、だからといって「これぞファイナル!!」といった感じのお祭り騒ぎ的なハイテンションなライブでは決してなかった。
これまでのアロウズとこれからのアロウズをじっくりと聴かせる、そんな丁寧なライブだったのだ。
まずはツアータイトルでもある「ロックンロール・ファンファーレ」でスタート。開放感のある曲で無難に盛り上がった。
その後しばらくはダンサブルなアップテンポの曲よりもゆったりとしたバラードの曲が目立った。
序盤から中盤はセットリストにすこし問題があるように感じた。キラーチューン「マストピープル」などいくら盛り上がる曲をやっても、そのあとには必ず静かな曲が来るのだ。よって観客としてはせっかくアガッたテンションがすぐに冷めてしまう気がした。この辺はもっと盛り上がる曲は盛り上がる曲で連発してガッツリとしたグルーブを生み出してもらいたいとこだった。
後半になってからは「JIVE JIVE」「ナイトコール」と定番曲を連発し、ようやく盛り上がってきたところで本編ラストは新曲「月光の街」。これが「ダンスミュージックのアロウズ」とは対極にある「センチメンタルなアロウズ」の部分のみを凝縮した曲であり、ノイズのようなギターの轟音の中でボーカル坂井竜二が「幸せってなんなのか?自分らしく生きていけるか?」などなど心の内面の悩みや葛藤をむき出しにして歌う実にシリアスな曲だった。個人的にはこの曲かなり気に入ったがツアーファイナルの本編ラストに持ってくるべきだったのかは疑問が残る。観客は戸惑いを隠せない様子であった。
そんなこんなでアンコールではしっかりと定番曲「ロックンロール・ダンシングガール」をやって明るいアロウズを披露。
2度目のアンコールでは「プレイボーイは憂いボーイ」で観客を1つにPOPにまとめてなんとかライブは終了。
ツアーファイナルということで坂井竜二の声も若干かすれていたとおもう。正直、勢いよりも疲れを感じるライブだった。が、決して手抜きはなく1曲1曲をしっかりと丁寧に伝えようとしている熱意は伝わってきたし、色々な側面のアロウズを感じることができたので、終わりが近づくにつれて「がんばれ!」と半ば応援しながら観ていた。
2度のアンコールを終えてメンバー全員が肩を組んで挨拶している様子をみて
「お疲れさま、ありがとう!」
と心から思った次第だ。
というわけでツアーファイナルは意外にしっとりとしていたアロウズ、
それもまたよしということで、今後ますますの活躍を期待したい。
SUN SET LIVEまであと43日!
2007年7月18日水曜日
万城目学「鴨川ホルモー」
京都大学出身の万城目学のデビュー作品。
この作品も京都が舞台で主人公は京大生だ。
そのほか立命館、龍谷大、京都産業大学も登場する。
京都の人って京都の地に格式高いプライドを抱いている事がこの作品からも十分伝わってきた。
感想は、たしかに面白いことは間違いない。
物語の展開となんともいえない題材は他にない面白さである。この発想は凄いと思う。
が、明らかに軽すぎるのだ。
帯には「各誌紙・メディア・書評で大絶賛の」とあるがそこまで褒めるか?といった感じだ。
舞台となる組織をサークルなんかにしないでもっと格式のある正規の「部」にすればよいのにと思った。
題材的にはいくらでも重厚な作品にできそうなのに、人物描写も、設定もなにもかもが薄い。
その分読みやすさは格別である。
最近の大学生を主人公にした小説ってどうも情熱が足りないものばかりで私には物足りない。
もっと魂を揺さぶられるほどに熱い小説に出会いたいものだ。
SUN SET LIVEまであと44日!
2007年7月15日日曜日
コザック前田 弾き語りLIVE at STAR PINE'S CAFE
ガガガSP(ガガガスペシャルと読む)のボーカル コザック前田の弾き語りライブが吉祥寺であるという事で台風の中行ってきた。
とっても良いライブであった。
コザック前田について語る前にまずはガガガSPについて説明しなければなるまい。
ガガガSPは関西のバンドで、「吉田拓郎」を3倍速にして無理やりパンクロックにするとこうなるといった感じの音楽をやっている。私がガガガを初めて聴いたのは4年前、横浜のタワレコの店内に名曲「国道二号線」が流れた時だった。当時ちょこっと吉田拓郎に興味があり、ベスト盤を購入して「今日までそして明日から」なんて曲をギターでシコシコと弾いていた私にとって、店内に爆音で鳴り響く「国道二号線」はそれはそれは衝撃的であった。
「なにこれ!拓郎とパンクの融合じゃん!!こういう手があったか!」
即CDを購入。それ以来新作は一通りチェックしているお気に入りのバンドである。
バンドの中心となっているのは間違いなくボーカル コザック前田である。彼の生み出すフォークソングとしかいいようのないメロディの曲をバンドの激しいサウンドで展開する点はある意味発明といっても過言ではない気がする。そしてコザック氏による歌詞もこれまたフォークソング同様日本語をうまくのっけており、極めて断定的で実に分かりやすい。そのほとんどは過去の失恋に未練のある情けない男の心情を歌ったものばかりだ。その情けなさ、弱さを引きずり続けて人間は前へいくんだという部分が私は大好きなのだ。
コザック氏の声がややにごっているガナリ声のために、ガガガを受け付けない人や、ただの子供向けのパンクバンドだと感じる人もいるようだが私はそうは思わない。あの世代でフォークソングを正統に受け継いだ音楽をロックバンドのフィールドでやっているのはガガガSPくらいだと思う。
今日はそのコザック前田のソロによる弾き語りライブであり、文字通りギター1本で20曲以上を3時間近くにわたって披露。関西人らしいアクの強いMCがまた痛快で会場は何度も笑いに包まれた。「吉田拓郎が大好きです。僕はフォークソングをやっているのです。」と言っていたのが印象的だった。ガガガの曲もギター1本の弾き語りで聴くとそのフォークソングの要素がさらに濃厚に浮かび上がってくる。そしてコザック前田の歌も想像以上に上手くて驚いた。歌唱力はしっかりあるのだ。
好きな曲は大体聴けたので満足。特に「線香花火」は大好きな曲でホントに嬉しかった。
そしてアンコールラストはなんと「国道二号線」!!
私とガガガとの出会いの曲をラストに聴く事ができ感動的でさえあった。
実はガガガSPは昨年11月にメジャーからインディーズへと戻っている。
メジャーの世界ではいろいろとストレスもあったようで数年前にはコザック前田はパニック障害になっている。今日のライブでもTV出演時などに感じたメジャーであることの違和感について語っており、これからは自分らのペースで活動していくと発言していた。
色々あったと思うが今後も活躍を期待したい。
というわけで、ガガガSPはフォークソングであるという事を改めて痛感した、すばらしい夜であった。
SUN SET LIVEまであと47日!
2007年7月13日金曜日
INO hidefumi「Satisfaction」
今週はいろいろあってかなり疲れた。
疲れを取るためにも静かな音楽に癒しを求めたい。。
そんなときにピッタリなのがINO hidefumi「Satisfaction」だ。
昨年秋に横浜のタワレコで試聴して即購入を決意した。
この作品、最近街のいろんなとこで流れている気がする。
先日いった青山のバーでも流れていた。
エレクトリックピアノ(フェンダーローズというらしい)の音色がとにかく美しい。
そして全編打ち込みによる乾いたリズムが目立たずに、あくまで黒子に徹してピアノの音をよりいっそう引き立てている。
1曲目「spartacus」を聴くとこの曲のメロディがずっとずっと永遠に続いてほしいような感覚に包まれる。
「蘇州夜曲」など基本的にはカバー曲が多いらしいのだが全編とおしてシンプルな音で構成されているために統一性のあるクールな雰囲気で作品全体が貫かれている。
だが、クールといっても決してただのオシャレなサウンドというわけではない。全ての曲が独特の緊張感に満ちており聴くほどに作り手の熱い情熱が伝わってくる。「冷静だが熱く燃えている」といった感じだ。シンプルな音の構成にもかかわらず聴けば聴くほど味わい深くなってくるのは、実はそれだけ熱い作品だからだと思う。
というわけで今夜もこのアルバムを聴きながらちょっと早めに眠りにつきたいと思う。
明日も出勤なんだよ。
SUN SET LIVEまであと49日!
2007年7月11日水曜日
本谷有希子「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
本谷有希子の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
映画を観てからすぐにその足で原作を購入して読んだ。
細かな違いはあるにせよ、映画は非常に原作に忠実に作られていることがわかった。
原作の世界観を実に見事に、しかも観客に観やすくややコミカルにして映像化した点は賞賛に値する。
そして原作であるが、テンポのよかった映画と違って、とげとげしい文体が最初は読みづらかったものの、その面白さに違いはなくあっという間に読んでしまった。映画よりも各登場人物の背景が詳しく書かれており、特に兄嫁の待子の半生は実に面白い。
大きく違うのはラストだ。
原作のラストは待子のおかげでかろうじてコミカルな雰囲気もあるが、全体的に実に暗く強い憎悪にあふれている。
これをこのまま映画化したら間違いなく観客にとって後味の悪いものとなっただろう。
そういった意味では映画のちょっとほんわかとしたどっちつかずのラストはあれで良かったのかもしれない。映画を観たときはあのラストは「中途半端だ」と強く批判してしまったが、原作を読み終えて思うのは、あのチャットモンチーが流れるラストがそれなりに良かったのではないかという事だ。
いまさらですが吉田監督、文句いってすいませんでした。
というわけで映画を観てから原作を読むのもまた色々な楽しみがある事を実感した次第である。
2007年7月10日火曜日
石田衣良「約束」
先週末に購入した石田衣良の「約束」。
あっという間に読んでしまった。
「かけがえのないものを失くしても、いつか人生に帰るときがくる。」
帯に書かれているこの言葉とおりの内容の7つの物語からなる短編集。
7つの作品はそれぞれ主人公の年齢も設定も違うのだが、共通しているのは日常に大きな事故や喪失を味わい、それが原因で人生に希望を見出せずに、どこか人生をあきらめながら、戦うことから逃げながら暮らしている人々が、何かをきっかけにまた希望を抱いて再生していくという点だ。
「なんで私だけこんな目に」というセリフが頻繁に出てくるが、このセリフ自体人間20年も生きていれば多かれ少なかれ誰もが一度は思うことであり、非常にリアリティがある。
それぞれの物語はダイビングやモトクロス、カメラメンなどやや専門的な世界を舞台にしているが、ディティールの描写が実に丁寧で緻密なので自然に物語に引き込まれてあっという間に読み終えてしまう。
個人的には、冒頭の池田小児童殺人事件をモチーフにした「約束」がもっとも衝撃的であり感動的であった。その次に良かったのは「夕日へ続く道」かな。
この2つはそれぞれ主人公が小学生と中学生の男子だ。
筆者は人生に希望を見出せない子供のデリケートな心理描写が実にうまいと思った。
「夕日~」の主人公のような中学時代の思春期の少し屈折した精神状態は、誰もが共感できる部分じゃないかと思う。
それとは対照的に大人が主人公の物語になると、どうしてもセリフに頼った説明的な展開になってしまう気がした。ラストの「ハートストーン」なんて読者に無理やり「泣け」といわんばかりの内容とセリフのオンパレードで逆に興醒めだった。。
あと非科学的な要素のある「天国のベル」もダメだった。こういうのは正直なんでもありじゃないかと思ってしまう。「いま会いにゆきます」みたいな。「裏技つかってでも泣かせます」という意図が気にいらない。
とはいっても「喪失からの再生」という分かりやすいコンセプトで全ての物語がきれいに貫かれているために非常に読みやすく、読み終わった後の余韻も良い。
というわけで少し人生に疲れている方、「自分が世界で一番不幸なんじゃないか」とか思っている方にはオススメの作品。これを読んで人生が変わることはなくても、少しは気が楽になるのでは。
2007年7月9日月曜日
「今夜はブギー・バック」
小沢健二のアルバム「LIFE」。
今年の2月に中古で手に入れた。
ソウル、ファンクを和製に分かり易くアレンジしたような、ウキウキする曲ばかりで捨て曲なしの名盤だ。
94年リリースの作品でこの頃オザケンは「渋谷系」というジャンルにカテゴライズされていた。
当時高校生だった私は、渋谷系といったらピチカートファイブとオリジナルラブにはハマッたのだがオザケンの良さは全く分からなかった。あの声がダメだったのが大きな要因だと思う。
でもってあれから10年以上たったいまになって「LIFE」の素晴らしさを堪能している。
最近「LIFE」にも収録されている「今夜はブギー・バック」をギターでよく弾いている。
コード進行はC→D→Emの3コードのループが基本なのでとっても簡単だ。
この曲が和製ラップを世に広めた役割は大きいと思う。
日本語ラップの合間にメロディアスな歌によるサビを挟み込むという、現在の邦楽ラップの王道パターンをドラゴンアッシュがヒットする4年も前に既にやっていたわけだ。
スチャダラパーのリリック自体は韻を踏んでいるわけでもないし、ダラダラでユルユルなんだが今にして思えば当時こういう曲がTVで流れただけでも凄いなと思う。
しかしアニのパートはあまりにキレがなさすぎて、逆に覚えにくいし歌いにくい事この上ない。
というわけで今夜も練習だ。
2007年7月8日日曜日
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」鑑賞。
吉田大八監督
2007年 日本映画
今日は渋谷に買い物でもしようとブラっと行ってきた。
15時前に渋谷のパルコの地下の本屋リブロで、気になっていた映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の原作者が、ずっと気になっていた作家本谷有希子だったということを知り、驚くと同時に妙に納得。
さらにパルコのすぐ裏にあるシネマライズで「腑抜けども~」が昨日から公開されているということなので、突発的に15時からの回を観てきた。
感想は、おもしろかったけどラストが甘いなと思った。
女優志望で東京に上京していた澄伽は、両親の事故死によって田舎の実家に帰郷する。
澄伽の秘密を漫画にして暴露したという過去を持ち、それ以来姉に激しくいびり続けられている妹と、血がつながっていないゆえに澄伽と他人にはいえない秘密を持ってしまい、その過去により人生が深い絶望につつまれている兄、何も知らない兄の嫁、彼ら3人が住む実家の日常は、澄伽の帰郷により戦慄の走る毎日へと変わってしまう。
この作品は、終始田舎を舞台に展開する一家族の壮絶な、そしてちょっとコミカルなドロ沼劇である。
登場人物たちの心にどんよりとのしかかる絶望感と、それを増幅させるようかのような山に囲まれた田舎の閉塞感の漂う風景が良い。
役者達の演技が素晴らしい。
特に永瀬正敏は、この作品中で群を抜いた演技力で、もう背中だけで演技しているといっても良い。絶望から抜け出せず身動きがとれない兄役を見事に演じており素晴らしいとしかいいようがないが、どちらかというとこの作品にはもう少し軽い演技でも良かったのではないかとも思う。残りの家族3人に比べてあまりに演技が重すぎるように感じた。
主演の佐藤江梨子も持っている力全てを使ってよくやっていたように思う。
妹を演じた佐津川愛美も言葉少なげに漫画に没頭するアングラな役によくハマっていた。
唯一の明るい天然キャラである兄嫁をコミカルに演じた永作博美も見事。
監督はCM界のベテランで、長編映画はこれがデビュー作とのことであるが、これ見よがし的な派手な映像は終盤のクライマックス以外はほとんどなく、落ち着いた映像で役者の演技をじっくりと映していて好感が持てる。
がしかしラストがどうも尻切れトンボな気がして、「え、これで終わりですか・・?」と思わずにはいられなかった。それまで張り詰めていた緊張感と絶望感、特に妹と姉の関係がどうにもこうにも無責任に放棄された感じがして「結局あの2人はどうなるんだよ?」といいたくなってしまう。あのラストシーンは「中途半端」としかいいようがない。
この辺は脚本も手がけた吉田監督の腕の甘さといえる。
どうやら原作と映画ではラストが違うらしい。映画館を出てから早速原作も購入したので、その違いをこの目で確認したいと思う。
とはいえ家族4人を演じた役者の演技だけでも見ごたえ十分の作品だ。
とくに永瀬正敏ファンの方は一見の価値ありだと思う。
(生涯591本目の作品)
2007年7月3日火曜日
cro-magnon 「GREAT TRIANGLE」
今日は会社帰りにわざわざ川崎まで行ってタワレコでcro-magnon(クロマニヨン)の新作と旧作を買ってきた。「クロマニヨンズ」じゃないよ。
なぜそこまでしてタワレコで買ったかというと先着でイベント無料招待券が付くからだ。ということで7月22日に新宿タワレコの屋上でやるイベントの招待券をゲット。当日はもちろんcro-magnonのライブもある。
cro-magnonについては正直ぜんぜん詳しくはない。CDも1枚も持ってなかったので今日新作と昨年リリーズのファーストアルバムの両方を購入した次第。
今年4月に、とあるイベントで彼らのライブを観たのだが、鍵盤、ギターORベース、ドラムというミニマムな3人編成のインストバンド(歌なし)にも関わらずタイトでぶっといグルーブをこれでもかと生み出して、男気あふれる強力なダンスミュージックを奏でていた。その音の濃さと凄さに気づけば踊っていたよ。ムダのない直球の人力によるダンスミュージック。カッコええと思う。
というわけでこれからじっくり聴いてみようと思う。
まあcro-magnonに余計な感想はいらない気がする。「聴いた!、凄かった!!、踊った!!!」としかいいようがないのではと。それくらい潔いダンスミュージックなのだと思う。
ってまだ聴いてないんだけどね。
2007年7月1日日曜日
SPECIAL OTHERS LIVE at LIQUIDROOM
待ちに待ったスペアザワンマン。
期待通りの素晴らしさであった。
会場は恵比寿にあるリキッドルーム。私が都内で一番好きなライブハウスだ。
横に長くて、高いステージはどこからでも非常に良く観えて音も良い。キャパも多すぎず少なすぎずでちょうど良い。
今日は後ろの方でゆったりと観たいと思い、後方の少し高くなっている所から観客がパンパンに入ったフロアを眺めながらライブを楽しんだ。チケットはソールドアウト。スペアザのワンマンの会場はやるたびに大きくなってきている。まさしく人気上昇中である事を実感した。
ライブは最新作収録の「surdo」でスタート。この曲がもうCDよりも遥かにやばくて鳥肌が立ち、涙がでそうになった。
セピア色みたいなオレンジ色の照明が実によくこの曲に合い、郷愁感を誘う。
繊細だがダイナミック(ドラムにパーカッションが加わってリズムが深みを増したのが原因だろう)、そして切ない。いままでになかった深みのあるこの曲で堂々と始まった今日のワンマン。スペアザの素晴らしい成長ぶりをいきなり見せつけられて私は「今日のライブは素晴らしいものになるな」と早くも確信した。
その後は大好きな「NGORO NGORO」。この曲のハッピーでポップなギターのメロディを生で聴くと「生きててよかった」と本気で思う。
その後も2セット構成で新作「STAR」の曲は全曲やりつつ「AIMS」、「IDOL」、「UNCLE JOHN」といった定番キラーチューンもしっかりやりライブは終了。
大きな変化といえばベースの又吉氏が従来のウッドベースだけでなくエレキベースを使用し始めたこと、ドラムにパーカッションが加わったことくらいで基本的にはいつもの「スペアザ」サウンドであったが、なんといってもバンドサウンド自体が「強さ」を増しているように感じた。
それもいままでの繊細さ、やさしさも一切失われていない上でパワーを増しているのだ。
特筆すべきはファーストアルバムのタイトル曲でもある「BEN」。終盤に披露されたこの曲が昨年のライブよりもすさまじくパワーを増しておりバンドの成長を感じさせた。
今日、歓喜するフロアを見下ろしながら思ったのは先程も書いたが、明らかに以前よりも人気が出てきているという事だ。
特に「AIMS」の盛り上がりは、いわば「ロック」的な盛り上がりであり、観客全員が手を上げてフロアがひとつになるような盛り上がり方であった。
個人的にはスペアザの音楽って「みんなでお祭り的に盛り上がる」というよりは、個人個人の心の内面にやさしく注ぎ込まれるような感じなので、あの盛り上がり方にはちょっと違和感を覚えてしまった。
手拍子をしようと試みた客もいたが、やはりスペアザに手拍子は合わないようで決して長く続く事はなかった。スペアザで手拍子、俺は絶対やらんぞ。。
まあこういったライブの楽しみ方は個人の自由なんでどうしようもないな。
こういう事を思うのも彼らが人気を増しているからこそなんだろう。
というわけで、バンドサウンドの強さと人気の両方を凄い勢いで増しているスペアザ。
今後も繊細さを失わずに上へ上へ突き進んでほしいものである。
「悪夢探偵」鑑賞。
塚本晋也監督
2006年 日本映画
つまらなかった。。
他人の夢の中に入る力を持ったある男。彼は次々と自殺願望者の夢に入り込んではその者を虐殺していく。その男を犯人として追う警察はやはり他人の夢に入り込む能力を持つ悪夢探偵に協力を依頼し、犯人に対決を挑む。
塚本晋也監督の作品はつねに激しい暴力と痛みに満ちており、それらは観る者の五感を強烈に刺激する。
その痛みゆえに「生」の実感を強く伴う。
すさまじい暴力、痛みゆえに逆に生きている事を強く感じ、そこに「生きたい」という動物的本能が生じる。塚本監督の作品は観る者に「どうだ、生きたいだろ」と強く問いかけているかのようだ。
がしかし、この「悪夢探偵」はそういった「生」への執着よりも「死」への願望のみが強く残ってしまう。
この作品はたとえ自殺願望がない人でも見終わったあとはなんとも精神的にまいってしまうのではないだろうか。
この原因は主人公である松田龍平とhitomi両者の役不足としか思えない。
自殺願望者の夢に入り込み、その者を虐殺していく犯人役は塚本監督自身が演じているが、この犯人に主人公2人がどうみても負けてしまっているのだ。これは言い換えれば主演2人が塚本ワールドの強烈な世界自体に飲まれてしまっているといって良い。
そうはいってもそこは映画なのでラストは主人公達が勝つのだが、見終わったあとには精神的疲労のみが残る・・。
この作品は来年に続編の公開が決定。キャストは松田龍平のみ残して設定を大幅に変えるらしい。
この事からもhitomiは塚本作品にはまだまだ早かったとしかいいようがない。。
そもそもなんでhitomiだったのか?そこだけが謎だ。
(生涯590本目の作品)