
ミッシェルにとってベトっとヘヴィだった99年が終わった。
オレにとってもしんどい1年だった。
そして2000年になった。
ミレニアムである。
2月。
春になれば大学4年生。
オレは就職活動を始めていた。
とはいっても例によって部活動にはげむ毎日。
しかも上級生は引退し、これから新4年生になる最上級学年である。
色々と役職もついて部をまとめなくてはならない毎日だった。
練習、就活に奔走する日々。
それなりに充実していて、今思うと楽しい経験だったと思う。
そんな2000年であるが、ミッシェルは活動していた。
まず2月にシングル「GT400」をリリース。
めずらしくミドルテンポの曲だ。
Aコードではじまるこの曲はめずらしく余裕にみちた曲だ。
砂漠をバイクで走っている映像が頭にうかぶ。
そして3月には4枚目のアルバム「カサノバスネイク」がリリース。
就活中に新宿のHMVによって、
備え付けの視聴機で「カサノバスネイク」を聴いたことをいまでも覚えている。
1曲目は「デッドスターエンド」。
イントロを聴いて思ったのは
「・・・音、軽くね??」
という感想である。
前作「ギヤブルーズ」のドロドロでベットリでディープな音とは違い、
乾いたカラっとした音になっていて、
正直拍子抜けしたのを覚えている。
それでもミッシェルファンであることには違いないので。
もちろんその場でアルバムを購入して、狂ったように聴きまくった。
正直、「やっぱミッシェル、うまいなあ」って思ったね。
何がって、
「あんだけしんどい『ギヤブルーズ』の世界をぬけて、今度はちょっと明るい世界に行ったんだ」ってことが感覚的に伝わってきたからだ。
「ギヤブルーズ」とはちゃんと違う作風になってるのだ。
まずテンポが速い。
あとはメロディーがいい。
このアルバムに収録されている「リボルバージャンキーズ」という曲は
当時のミッシェルがいかにハッピーなモードにあったかということを象徴するような曲であり、
これ以降もライブの終盤で頻繁に披露される後期代表曲の1つである。
話はもどるが99年秋にはミッシェルは初のアメリカツアーをおこなっていた。
アメリカはとにかく広くて、1日中とうもろこし畑を車で延々と走る日が続いたという。
「GT400」や「アンジーモーテル」などの歌詞はおそらくアメリカの情景を歌っているのではなかろうか。
アメリカでの体験がこの「カサノバスネイク」全体にそれなりに影響していることは間違いない。
まあ一言でいえば「ハッピー」なアルバムだったんだ。
そしてそれが部活と就活に励むオレの2000年春の心情とうまい具合に重なっていいBGMになっていたんだ。
そして例によってアルバムリリース後に5月からツアーがスタート。
ライブハウスをガンガン回るツアーだが、
本数は43本と、ギヤブルーズツアーより20本近く減っていた。
いまとなっては、ミッシェル至上もっとも過酷だったのが「ギヤブルーズ」の頃で
ロックンロールバンドとして余裕があり幸せだったのが「カサノバスネイク」の頃だったのではと思ってしまう。
「カサノバスネイクツアー」のライブの様子はそのまま「リボルバージャンキーズ」のPVの一部にもなっている。ステージにしゃがみこんでハンドマイクで満面の笑顔で歌うチバの様子がまぶしすぎる。
「ギヤブルーズツアー」の重みを突破した男が自力で掴み取ったつかの間の栄光をあらわしているようで、まぶしすぎるのだ。
ちなみにこのツアーから彼らのライブ登場SEは「ゴッドファーザー愛のテーマ」になった。
日本のロックンロールバンドとして1つの頂点になったということを余裕と貫禄をもって堂々と表現しているかのような選曲である。昔は「ルパン3世のテーマ」であったことを考えると、チンピラがヤクザになって、ついにはマフィアのドンになってしまったという彼らの成長ぶりがようくわかる。
ツアーファイナルは昨年の「ギヤブルーズツアー」同様に赤坂BLITZであった。
例によってこのライブもWOWWOWで放映された。
知人に頼みオレはこのライブの映像も入手。
1年前の「ギヤブルーズツアー」の赤坂BLITZが凄まじすぎただけに、期待してみた。
が、このファイナルはあまりにもギヤブルーズツアーとは違う内容となっていた。
1曲目は「プラズマダイブ」。
とにかくテンポが速い。
もともと速い曲だが、その原曲より2倍くらい速いのだ。
その後もとばすとばす。
「コブラ」って曲の歌詞に「狂乱のハッピー」って言葉があるが、まさにその通りのライブだった。
正直このツアーファイナルには
「なんだか速すぎて演奏に深みがないなあ」
とオレは不満だった。
「カサノバスネイク」の歌詞世界はアメリカの情景、あとはチバの脳内にある宇宙がメインである。
宇宙の果てまでぶっとばすかのような超ハイテンポのライブであった。
そしてこのファイナルのあと彼らは98年以来2度目のフジロックに出演。
しかも一番大きなグリーンステージでなんとトリであった。
フジロックといえばトリは洋楽の大御所的なアーティストがつとめることが多いのだが、なんとこの2000年はミッシェル、ブランキージェットシティと日本のバンドが2バンドトリをつとめたことで話題になった。
「ゴッドファーザー愛のテーマ」で登場。
このSEも決して大げさでなく彼らの貫禄を声高らかに表していた。
1曲目は「CISCO」。98年のフジロックでも1曲目に演奏し、客の暴れっぷりに中断せざるをえなかった曲である。
その後も代表曲を演奏。
当時、このライブの映像もツアーファイナルと合わせて観たんだが、
やはり演奏に深みとスリルを感じなかった。
ようするに「余裕」がありすぎて「スリル」がないのだ。
ミッシェルに「余裕」があったのはいま思うと2000年だけだったのではと思う。
オレに言わせれば、
「カサノバスネイク」を一言で表現すると、「ハッピー」だ。
あんだけしんどい「ギヤブルーズ」のあとは
「ハッピー」でいいんじゃねえか、という考えが彼らにもファンにも無意識にあったように感じる。
フジロックが終わり
秋になり10月にシングルをリリース。
「ベイビースターダスト」だ。
「カサノバスネイク」でたどり着いた宇宙ワールドをさらに爆裂させたかのような曲。
このシングルの3曲目は「武蔵野エレジー」。
「あいついまごろケムリになって気ままに空を飛んでるのだろう」
という歌詞があるが、チバいわくミッシェルの周りで他界する人が多かったために作られたという。
どこか物悲しい曲。
この曲でウエノは初のウッドベースを弾いている。
そして12月には、これまでの活動の全てを一旦総括するかのように
ベストアルバムとライブアルバムを同時リリース。
このダブルリリースは「解散か?」という噂をよぶことになった。
5枚のアルバムである意味やりきったといってもいい彼らの活動を考えると
確かに解散説がでてもおかしくはなかった。
しかし彼らはまだ活動を続ける。
2000年にハッピーなパーティーを終えて、
2001年にはまた別の世界が待っていたのだった。
(続く!!!)