2011年11月14日月曜日

ベティはいかにして破綻していったのか?

「ベティ・ブルー インテグラル」を観た。
大好きな映画で、かれこれ何度も観ているがかなり久々に観た。

映像よし
物語よし(ちょっと救いがないけど)
音楽よし
役者よし
と4本そろった恋愛映画だ。

ベアトリス・ダルが体当たりで演じるベティの情熱的すぎる愛情。
そしてそれを優しく包むゾルグ。
これがこの映画の一般的な解釈だろう。

だが何度も観ていて思ったのは
ベティの愛を結局ゾルグは包むどころか、受け止めきれていなかったとのではという事だ。

この映画の見所は徐々に破たんしていくベティの変貌だろう。
この映画を何度も観ているオレとしては「はたしてどこからベティは壊れしまうのか?そしてそれは何が原因なのか?」を今回気にしながら見ていた。以下、物語をおいつつベティの精神の破たんの要因を探っていく。

冒頭の海辺のバンガローのシーンからベティはひたすら過激で、家のものを投げ捨てまくるわ、家主の車にペンキぶっかけるわ、と、超パンクな行動の連続だ。だがまだまだここでは2人は平和にやっている。

まず最初にベティの暴力性が大きく露呈されるのは、2人が海辺を抜け出してパリにあるベティの友人の恋人であるエディの店でウエイトレスとして働いたときに、ベティがヒステリックな女性客の腕をフォークで刺してしまうシーンだろう。
これは結局ベティが社会という枠でいろいろな人の顔を伺いながら賢く生きていくことが不可能なことを物語っている。
ということは「あのまま海辺のバンガローで2人で仲良く延々とペンキぬってたほうが幸せだったんじゃ・・・」と思ってしまう。

2人はこのあとエディの母親の死により、エディの故郷を訪ね、そのまま彼の母親が経営していたピアノ屋をエディから引き継ぎつつ、そこに住むことになる。ここから徐々に本格的な破たんが始まってくる。
ここでベティはまずゾルグが新車を買った事に対して猛烈な嫉妬をしめす。
そこには車=モノ・カネの象徴という図式がありそれに興味をしめすゾルグに不愉快になるのだ。おそらくベティはこんな田舎で、2人の愛だけがあればそれで十分で車なんていらないじゃないかと本気で思っているからだろう。
スーパーマーケットからの帰り道にゾルグに代わって自ら新車を荒っぽく事故スレスレの運転をしつづけ、挙句の果てには「こんな車もう乗らない」と言い捨てて車から降りてしまうベティ。
1人茫然と車中に取り残されるゾルグはその意味がわかっていないようだ。
そのままベティの怒りは収まらず、夜テレビで映画を爆音で観ながら不機嫌にポップコーンを食べ続ける。ゾルグはまだベティが怒っている意味がわからず、逆に自分も不機嫌になり隣室で新聞を読んでいる。
ここでゾルグがベティに「なに怒ってんだ?」と半ばあきれたように話しかけると、ベティの怒りは頂点に達し、素手でドアのガラスを割って手から流血&そのままはだしで全力疾走である。ベティの行き場のない悲しみと怒りが第1の爆発を起こした決定的場面といえる。
この場面も何回も観ると「ゾルグ、わかってやれよ~」と単にゾルグが鈍い男にしかみえてこない。
このようにジワジワとベティの「ゾルグ、なんでわかってくんないのよ」暗黒パワーはその強大さを増していくのだが、それでもベティの20歳の誕生日を祝ったり、ピアノを売ったりとステキなエピソードがあるのでなんとか2人はうまくやっていく。

しかし、ベティの夢である「妊娠」と「ゾルグの作家デビュー」の2大ドリームが叶うことがなくなった事を思い知ったときに、ベティのワガママで純粋すぎる精神は、いとも簡単にこの世の不条理に耐え切れずにあっけなく砕け散ってしまうのであった。
しかし妊娠検査が陰性だったあとのシーンは恐ろしい。ベティによってゾルグが買った子供服がズタズタに切り裂かれているのだ。この辺の演出はなかなかうならせるものがある。
そして衝撃のご対面シーンとなる。
変わり果てた顔のベティ。ゾルグはいてもたってもいられずに熱いチリソースを自ら顔にかける。言葉にできない悲しさを見事に体現した伝説的シーンといえよう。

この場面以降ベティの精神はある意味死んだにひとしいのではないだろうか。もう以前にように笑うこともなくなる。怖いのはあれほど美しかったボディラインも全然違って見えてきて、筋肉がたるんできているように見えることだ。
それなのにゾルグが相変わらずマヌケである。
あれほどベティが車に嫌気がさしていたのにもかかわらず、彼はまたしても超俗物的視点でベティを喜ばせようとしてしまう。
銀行を襲撃し現金を強盗。盗んできたシワシワの紙幣をベティに見せながら「これで島を買おう」などどいう始末。当然ベティは「島なんていらない」と生気のない声でつぶやく。
初めてみると泣けるシーンなんだが何度もみていると「ゾルグ、結局お前が与えられるのは金かよ・・・」と思ってしまう。

そしてネタバレになるので詳しくはかかないが「あの事件」が起きてしまい、
最終的にはゾルグは1人で家に戻ってくる。
そしてようやく彼はベティが望んでいた「作家への道」を歩き出すわけだ。
彼が原稿を書きだすと、猫がベティの声でしゃべりだす。
猫「書いてたの?」
ソルグ「考えてたんだ」

結論として「ゾルグはベティのことをあんまりわかってなかったんじゃねーの?」といいたい。
この映画の感想や批評文などに「ベティの愛をやさしくつつむゾルグ」という言葉が頻繁にでてくるが、この映画を何度も観ていると「肝心なことはつつめなかったゾルグ」であったことがわかってくる。

長々と書いたがこの映画は大好きだ。
そして結局お互い愛しているつもりなのに、まったく分かり合えず、ときに破たんしてしまうのが恋愛なんだと思う。
だからこそこの作品はただの映像がキレイな映画に終わっていなく、永遠に人間の心にリアルに伝わり続けるんだと思う。

以上!!!

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