ミッシェルさんたちとワタシとの出会いから別れまでを1年ごとに綴る「オレとミッシェルガンエレファント」、
約1年ぶりの連載です。
「しらねーよ」という方はスルーしてください。
2002年はミッシェルさんたちにとって、かなり微妙な年であったと思う。
カサノバスネイクにフジロックのヘッドライナー、そして年末にはベスト盤のリリースなどで「パーティーをやりきった感」があった2000年。
そしてそれを経て、明らかにバンドがでっかくなりすぎたことへの疲労感とそれを打破すべき強迫観念にもにたヒリヒリとしたエネルギーを「ロデオタンデムビートスペクター(以下ロデタン)」という世界で見事に表現しきった2001年。
このあと彼らはどうなってしまうのか?
期待は高まるものの、そう簡単に新作を出したりはしないだろうなあということはなんとなく感じていた。それだけ01年11月のロデタンツアーのファイナルには鬼気迫るものがあり、燃え尽きた感すらあったのだ。
そして02年、
まず動きがあったのはチバユウスケだった。
元ブランキージェットシティーのベーシスト照井氏とROSSOを結成し5月にアルバムをリリース。チバはギターボーカルであった。
ミッシェルのライブで、チバはギターを弾いているものの、音はほとんど出ていない。はっきりと彼のギターの音がわかるのは「世界の終わり」のイントロくらいだろうか。
なのでチバのギターの音色を本格的に聴いたのはこのROSSOが初めてであったが、「予想以上に弾けてんじゃん」というのが感想だ。
ROSSOの曲はどれもメロディアスで適度にポップで好感のもてるものばかりだった。そこにはロデタンのような切迫感は希薄で、ミッシェルという重荷から解放されたチバがのびのびとやりたいことをやっているように感じられた。
そしてよくも悪くも、バンドのいちボーカルが、こういう別バンドを組んだりすると「いよいよ解散か?」なんて声が聞こえてくるものである。
ロデタンリリースから1年がたち、ミッシェルとしては新作のリリースがないなか「ROSSOもいいけど、ミッシェル早くやってよ」という想いがオレの中ででかくなっていった。
そんなミッシェルがロデタンツアー以来、公の場に姿を現したのは8月に開催されたライジングサンロックフェス(北海道石狩湾)であった。
勝手な意見であるが、今思えば、このころから彼らの「解散」にむけての序章がすでに始まっていたのではと思ってしまう。
この日のミッシェルの出番は夕暮れでちょうど日が沈み始める時間であった。ステージ前にはミッシェルのライブを長い間待ち焦がれて、期待で胸を膨らませるファンが集まった。
久々に登場したミッシェルさん。
1曲目はなんと「ドロップ」だった。ミディアムテンポのこの曲は夕暮れの石狩湾というロケーションには実にマッチしていて見事だったものの、明らかにこのときのファンにとっては肩すかし的な始まりであったと思う。
ちなみに、1年後の解散ライブの1曲目も「ドロップ」である。
2曲目は「ブラックラブホール」という新曲。
通常ワンマンライブではないロックフェスで、アーティストは割とわかりやすい選曲のライブをやるものであるが、この日のミッシェルは客への迎合はほとんどなしで、未発表の新曲を多めにやっていた。
ようやく客が喜んだのはラストの「ダニーゴー」くらいか。
このころの新曲は「水色の水」のように、どれも割と複雑なリズムの曲がおおく、スコーンと抜けのよい曲が少ないのも象徴的である。
まちにまった久しぶりのライブで、「わかりにくい」新曲ばかりをいきなり披露されてファンは戸惑いを隠せなかったのではなかろうか。
そしてこの「戸惑い」はミッシェルさんたち自身も感じていたと思う。
このあと9月よりツアーがスタート。
とはいってもアルバムリリースの予定はまだ未定。
アルバムリリースなしのツアーである。
これもここ数年ではめったにないことであった。
奇妙に感じたのはそのツアータイトルである。
「Where is Susie?」という名のツアーだ。
疑問文という、なんとも妙なタイトルである。
これまで新作ごとに確信に満ちた世界観を構築し、迷うことなく怒涛のライブパフォーマンスをしていた彼らが、ここへきて明確な世界が見えずにそれ自体を探しているかのようなタイトルである。
まあチバユウスケとかに言わせたら「意味はないよ」の一言で一蹴されると思うけど。
最近になってようやくこのスージーツアーの映像を見ることができたが、その内容は正しく新旧織り交ぜたもので、新曲もあれば「キャンディハウス」なんかもやったりしていて、悪くいえば節操のないセットリストで、全く持って統一感や流れがないライブであった。
このスージーツアーを経て12月にはニューシングルをリリース。
タイトルは「太陽をつかんでしまった」。
そしてなぜかレコード会社をユニバーサルへ移籍。
「太陽をつかんでしまった」のPVを観て、一つだけ嬉しかった点があった。それはアベの使用ギターが全盛期に使用していた赤いテレキャスターに戻っている点であった。しかしそれ以外は曲調も歌詞も明らかにこれまでのミッシェルらしさは全く感じられない曲で、しかも8分近い長さ。
「いよいよ違うステージにたどり着いたなあ」と痛感。特に歌詞はミッシェルというよりもチバの1人称で書かれており曲中の「ぼくはそう思う」というフレーズに「これってチバのソロ?」とオレは驚いたのだった。
こうしてこれまでとは全く違う活動内容ばかりの奇妙な02年が終わった。
この時点でミッシェルさんたちは明らかにこれまで音を鳴らしていた世界を超えて、虚無感しかない空間(それがサブリナヘブン?)にたどり着いてしまったんではなかろうか。
新たな世界を求めてスージーツアーをやってはみたものの、結局それも見つからず、たどり着いたのは何もない宇宙の果てだったのではないか?やや抽象的ですいません。
だがその証拠に、宇宙の果てを哀愁たっぷり奏でたような「ドロップ」という曲が、この曲がリリースされた2000年よりも、この時期の方が何倍もリアリティをもって響いてくるのだ。
なんかの音楽雑誌でスージーツアーが終わったあと、「スージーは見つかりましたか?」という記者の質問(なかなかいい質問だ)にキュウかウエノのどちらかが「結局いなかった」というようなことを答えていたのを覚えている。
もっと行ってしまえば、スージツアーで何もみつかんなかった時点で解散を決意したのではないかと思う。
次回は2003年、ついに最終回です!!!
(つづく)
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