2007年10月18日木曜日

一杯のつけめん~思い出の茨城~


今日は水戸にある茨城営業所へ出張であった。
昼前に上野から特急に乗って水戸駅へ。

茨城県 水戸市は私にとって第2の故郷である。

私は茨城営業所に02年から05年までの3年間いたのだ。
人生で初めての一人暮らしであった。
行ってしばらくは、なれない土地でなれない仕事と一人暮らしにおわれる日々が続いた。
水戸は東京に比べると当然娯楽も少ない。2年間くらいは東京の実家や横浜へ帰るのがとても楽しくて、そして水戸に帰るのはなんとも切ない気分だった。
しかし04年くらいから仕事にもなれて余裕がでてきた。そこで私は「もっと水戸を愛そう!」と決意。水戸のライブハウスや映画館へ積極的に行くようになった。結成間もないZAZEN BOYSを水戸ライトハウスで観たのはいい思い出である。水戸の映画館で観たティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」は涙がでそうなくらい感動した。
04年の終わりになると水戸でも音楽を通じて友人ができた。みんなでSONICというライブハウスでオールナイトでDJイベントをやったり、昼間に水戸市街でCDJを使って好きなCDをかけたりして遊んだ。

そんなこんなで遊びも仕事もかなり充実してきて「水戸も楽しもうと思えばいくらでも楽しいじゃないか!」
なんて思っていたある日、
突然ある病気になってしまった。

これが変な病気で、1ヶ月くらいは入院する事となった。
両親と相談して実家の側の東京の病院に入院することとなった。

水戸駅のすぐそばにはマルイがある。ここでよく服やカバンを買ったものだった。
マルイの10Fはレストラン街で04年の秋にリニューアルされ、東京の名店「中華そば青葉」ができていた。私は当時月に2回はマルイにいって青葉の「特製つけめん」900円を食べていたと思う。それほど好きだったのだ。

入院のため東京に帰る日、会社を午前中に出て水戸駅へ向かった。
私は「しばらく水戸にはこれないな・・」と思いマルイに向かった。そして青葉のつけめんを食べた。
このときいうまでもなくかなり体調が悪かったのだが、それでも青葉のつけめんは魚介の味が効いていてパンチがありつつもラーメンと違ってすっきりしていてツルツルっと食べやすく、あくまで儀式的に食べたにもかかわらず予想以上に美味しかったのを覚えている。
そして私は水戸を後にした。

それから東京の病院で入院生活を送ったわけだが、思った以上に長引いてしまい、最終的に2ヶ月も入院し、そのあとさらに実家で1ヶ月自宅療養して3ヶ月も会社を休む事となってしまった。その間茨城営業所の所長と家族とで話し合い、「水戸でもとの仕事は難しい」ということになった。
そして05年9月から東京勤務となった。
そして今日に至るわけである。


かなり前置きが長くなってしまったが、
今日12時47分に水戸駅についてから、私はまずマルイへ向かった。
思えば今日着ているスーツも、履いている革靴も、持っているバッグも全てこの水戸のマルイで買ったものであった。
そのままエレベーターで10階へ。
2年前と変わらない販売機で食券を買った。
そして2年ぶりに青葉の特製つけめん900円を食べた。
やはりタレは魚介のとんがった味にまろやかな豚骨のコクがほのかに漂い、そしてめんはさっぱりとしていてのどごしもよかった。パンチがあるけどあっさりしている。
文句なしに美味しかった。
2年前は病気だったけどいまはなんとか健康に近い状態でいることに感謝しながら食べた。

その後営業所へ行って仕事。
夜は営業所の方々と食事をした。
営業所の方々といっても3年も一緒に仕事したので、私にとっては家族のようなふしぎな関係である。
特に所長は何事も負けず嫌いな方であり、この日の夜も久々にその闘志あふれる言葉を沢山聴くことができてなんか懐かしかった。
短い時間であったが色々話して盛り上がった。

不本意な形で水戸を離れてしまったわけだが、
水戸での3年間は間違いなく私にとって大きな財産である。
現在の仕事についての取り組み方や考え方の基礎も、ここでの所長を初めとした色々な方々との出会いで培われたといってよい。
早い話「水戸での3年間がなかったら、いまの私はない」ということだ。
これからもこの3年間に常に感謝の気持ちを忘れずにいたいと思う。

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