2010年3月26日金曜日

ラッキー★フレンズ ヒストリー3 2009年春編


2009年2月21日 3・9
08年をなんとか楽しくのりきったラキフレ。09年に入ってからも練習は続いた。
会社の先輩Kさんの結婚式2次会に向けての練習である。
2月21日という日程であったが、
「3月も近いことだしレミオロメンの『3月9日』をやろう」
というイシイのやや強引な提案により曲は「3月9日」に決定。1月2月とひたすら練習した。

そして2次会当日。
この日は演奏前から不安要素が多かった。
まず待ち合わせの時間になっても集合場所の赤坂見附駅にタカハシがこない。
遅刻であった。しかも理由は、タカハシの定番中のド定番であり必殺技である「前の日飲みすぎた」であった。
セッティングにはなんとか間に合ったもののメンバーの心は少なからず乱れていた。
このときイシイは前日に熱をだして会社を早退していた。なんとか1日で熱を冷ましたものの完全な病み上がりであった。
そして本番。
イシイの歌いだしから始まるのであるが、テンポがすこし速かった。
さらに加速するかのようにタカハシのドラムが走った。
明らかにバラードではないBPM。テンポが速すぎる。「3月9日:リミックスヴァージン」とでもいおうか。
結果なんともギクシャクした演奏になってしまった。
このあと「BABY BABY」を演奏してなんとかその場を切り抜けて終了したがメンバーには明らかな「敗北」ムードが漂っていた・・・。

2009年 3月 2マンライブ決定
2月の下旬だったであろうか、次のライブが決まった。
なんと同じ会社のバンドDPspaceとの2マンライブである。
日程は3月28日。
「やるしかない」「2月21日の屈辱を晴らすぞ」という意気込みでメンバーは練習に入ったが、これまで結婚式2次会とかで1曲だけ演奏するのにもイッパイイッパイであったラキフレにとって、30分近い持ち時間で5曲もライブをやるということ自体が大変大きな試練であった。
時間もないだけに3月はとにかく沢山練習した。
ライブに向けての練習は2月28日を皮切りに
3月4日、8日、9日、12日、16日、20日、27日と3月だけでも7回も行っていた。
しかしいくら練習をしても肝心の曲の構成やコード進行などをなかなかメンバーが覚えないために3人は本番が近づくにつれて大きな不安を感じることになった。
ほんとに5曲できんのかあ?という不安が3人の心に暗くのしかかっていた。
この間、イシイはライブへの極度のストレスとコンタクトレンズの手入れ不足が要因で右目を失明しかけ、結果、コンタクトレンズ生活からメガネ男子へと人生をちょこっとシフトチェンジすることになった。
余談であるが、ライブ当日イシイはメガネ着用で本番に臨む気でいたが、カモダの
「イシイさんのメガネはありえないっすよ~」の一声で、左目のみレンズをつけて右目は裸眼という状態で本番を乗り切った。


2009年3月28日 2マンライブ!!!
本番当日。ラキフレとDPspace(以下DP)の面々は17時頃ライブ会場に到着。
まずはDPのリハである。サウンドチェックの時点でその圧倒的グルーヴにイシイは驚愕。
当日は「ラッキー★フレンズvsDPspace」というタイトルであったがこの時点でイシイは「ウチラ完全に負けじゃん!!!」とレベルの差を痛すぎて逆に気持ちがいいほど認識した。
DPのリハを嫉妬と羨望が混ざった気持ちで観賞したあとはラキフレのリハである。
2曲ほど肩身の狭い想いでそそくさとやってリハ終了。
そして本番。3人の演奏をやさしいお客さんたちが助けてくださり、なんとか5曲やりとげてライブは無事終了。
「唄」で乗り切ったラキフレに対し、その後のDPは圧倒的グルーヴとリズムで堂々としたライブを見せつけ会場中に驚愕の渦を巻き起こしていた。
こうして2マンライブは終了。人生初の本格的なライブを経験して高揚感につつまれているカモダとタカハシに対してイシイは「もうしばらくバンドはいいな・・・」と疲労を隠せなかった。
ライブを終えて、軽く打ち上げしてから家に帰ると
「これからのラッキー★フレンズはボクがしっかりとひっぱります!!!」というカモダからのメールがきていた・・・。

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