2010年3月26日金曜日

ラッキー★フレンズ ヒストリー4 2009~2010年

そして解散へ!!!
2009年4月に入り、イシイは、かつてラキフレで結成当初ベースで参加していたさとしこさんが所属するバンド「ビンビールズ」のライブを初めて観賞。そのオルタナティブかつポップなサウンドにエライ衝撃を受けた。「メンバー全員サラリーマンなのにここまでやりたいように、しかもオリジナリティがあるバンドをやれているなんてすごい・・・。」
また3月28日のDPのライブもしばらく脳裏にやきついて離れなかった。
「バンド、まだまだやってみっか」
という気持ちがでかくなった。
5月に入り、ラキフレは新メンバーを入れて4人となる。
しかしメンバーにもそれぞれ生活がある。
3月のライブ後に「オレがバンドをひっぱる!」と熱く宣言していたカモダは家庭の事情によりその宣言を180度撤回するかのような状況になった。
6月に入りタカハシとイシイは大森の居酒屋で語り合った。
「このままじゃバンドもダラダラするだけで何も面白くない。やっぱライブをやろう!いまから半年かけて練習して12月にクリスマスライブだ!!!」「いいっすねー。やりましょう!!!」
その場でカモダにメールをしたが「12月は子供が生まれるのでダメです」という単純明快な返信であっさりと却下。実際11月にカモダはめでたく第1子を授かった。
こうして何の目標もないまま、ラキフレはたまーにゆるーく練習をするような草野球バンドになっていった。

年があけて2010年の2月。タカハシが4月より九州へ異動となることが判明した。
イシイは「これでラキフレも終わりだな。まあなんとなくみんなやる気が落ちてたし、自然消滅だな。最期は軽く練習でもやってそのあと送別会 兼 解散飲みでもすっか」程度に考えていたが、ある男の登場で事態は急変した。DPのベーシストであり、作曲までも手がける音楽家ハバネロ氏である。
このとき同じタイミングでDPのギタリストたいせー氏も4月で名古屋に異動することが判明していた。
会社の廊下でイシイとタカハシの2人にあったハバネロ氏はこう言ったのだった。
「ききましたよ~。TK(タカハシケンスケの略)さん異動ですよね。うちのタイセーさんも異動ですよ。
イシイさん、オレの言いたいことわかりますよね??」
「いや、わかんないんですが・・・」
「解散ライブやりましょうよ!!!けじめつけましょうよ!!!」
「・・・ライブねえ・・・」
そんな目立つことをするつもりなど、はなからなかったタカハシとイシイであったが、ハバネロ氏の情熱に負けて
「・・・じゃあ・・・やるか!!!」と無理やりヒートアップ。その場で残りのメンバーに連絡。
こうして4月3日に解散ライブをやることが決定した。
解散ライブといってもDPは解散はしないようである。
そしてラキフレにとっては正真正銘の解散ライブである。

2008年4月4日に大森の居酒屋で始まったラッキー★フレンズ。
2010年4月3日に大井町でその歴史に幕を閉じることになる。
最期のライブ、ぜひご覧ください!!!

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